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『世界で一番のお姫様』


by イイペーコー




 まさに大の字。
 少し前にリビングをチラリと覗いた時、気持ち良さそうに彼女は眠っていた。
 身に付けているタンクトップが肌蹴てヘソが見えそうになっている状態で。
 ささやかな配慮のつもりで詳しくチェックはしなかったものの、おそらくは口許には涎と思しき体液が垂れていた。

 千年の恋も冷める――という言葉があるけれど、彼女に恋い焦がれている男子生徒達もあの姿を目の当たりにすれば、一気にその想いも最近の高機能を有した冷蔵庫に投入された生鮮食料品のように急速冷凍されてしまうのではないだろうか。

 彼女――名前を惣流・アスカ・ラングレーという。
 出会った頃は可愛い名前だなぁ、と大いに勘違いしてしまった事もあったし、そのケチの付けようのない綺麗な顔立ちと、抱きしめれば(決してそんな事はしないけど)折れてしまいそうな程に細身でありながら、異性の目を釘付けにする自己主張力に満ちた膨らみに惑わされてしまいそうになった事も否定はできない。

 けれど、それは一過性の熱病みたいなもの。
 幸か不幸か彼女と同居する機会(正しくは破目と言うべきだろう)のあった僕は、天上天下唯我独尊の道を迷わず進むという、傍から見れば迷惑極まりない彼女の言動の被害に遭っている為か、あっさりと熱病から脱して、前途ある青少年としてあるべき方向性を見出しながら、なおかつ現状最も憂慮すべき彼女の我が儘への対処法を様々な切り口から模索している日々に埋没している。

 繰り返そう。
 あの姿――タンクトップにホットパンツという露出度の高い姿で、リビングで大の字になって昼寝している図、である。
 彼女には羞恥心というものが欠片もないのか。
 それとも僕は男としては認められていないのか。
 或いはそのどちらもなのかもしれない。

 同居しているもう一人の女性も、保護者とは思えない程に実にだらしない生活態度をまざまざと見せつけてくれて、僕は否応なく女性に対する不信感を持ちつつある。
 ひょっとすると世の全ての女性は、家に帰れば被っていた猫の仮面を取って、自堕落な有様を露呈する習慣があるのではないかと想像してしまうのだ。

 たとえば洞木さん辺りも――。
 いやいや、せめて委員長ぐらいは絶滅危惧種の大和撫子の血統を守る気構えを持っていてくれているのかもしれない。
 そうであって欲しいと願いつつ、こんな訳の判らない使徒との戦いを無事に終えて、安息感に満ちた日々の中、将来の展望に立った時に、将来の伴侶を想像するならば、洞木さんみたいな人を理想像として挙げておきたいと思う。

 間違っても、家事全般全てを押しつけて罪悪感の欠片もなく平気な顔して昼寝している厚顔無恥な暴君だけは遠慮したい所。
 勿論、端から異性と言う点においては相手にされていない事ぐらいは把握しているし、互いのベクトルが正反対を向いている以上、そんな未来なんて微塵も可能性はないのだから心配する必要すらないのだけれど。

 そんな暴君のために有限である貴重な時間を費やし、晩御飯の支度をしている僕はなんともお粗末な生き方をしていると思う。
 今や数少ない僕のテリトリーと化した台所に立ち、愛用しているエプロンを掛けてビーフシチューの下拵えに余念のない図は、遊びたい盛りの男子中学生としていかがなものかと自己分析してしまう。

 とはいえこれが僕の処世術。
 君子、危うきに近寄らず――本当は傍観者として遠巻きに暴君とその従者の様子を眺めて、『彼、タイヘンそうだな』――とトウジやケンスケと一緒になって呑気に世間話をしていたいものだけれど、強制的に当事者である従者にさせられた以上、なるべく当たらず触らず、近寄らず。
 いけ好かないお姫様の我が儘に黙って耐えて、ただ静かに台風が過ぎ去ってくれる事を願うだけ。
 叶うものならその被害は僅かであって欲しいと希望的観測を浮かべながら。

 嗚呼本当に14才という社会的には子供と分類されてしまう自分の年齢を恨みたくなる。
 こんな花婿修業(?)は早々に終わらせて、独り暮らしがしたいものだと思う訳で。

 毎晩、手の込んだ料理を作らされても感謝の気持ちを示す言葉など掛けて貰ったこともない。
 せいぜい『まあまあね』とコメントがある程度。
 悔しいから、「別にアスカの為に作ってあげてるんじゃないからね!」――と言い返してみたりする。
 勿論、心の中でひっそりと。


「ねぇー、しんじぃー」


 突然の呼び声に思わず焦ってしまう。
 声に出していないとはいえ、愚痴の数々を連ねていた身としては冷や汗を浮かべてしまう所だ。
 兎にも角にも、名前を呼ばれて放置できない。
 以前などは返事が遅いというだけで柔道の関節技を浴びせられる破目になった事があった。
 早々に参ったを連呼しても許して貰えず、そのまま袈裟固めで抑え込まれ、30秒で一本負けの状態を10回以上宣告されてしまうぐらい、長時間に渡って苛められたっけ。

 その話をトウジやケンスケに愚痴ってみたら、何故か羨ましがられてしまったけれど、あの二人、まさかMのケがあるのだろうか。

 閑話休題。
 急いでアスカのもとへ行かなければ。


「アスカー、呼んだー?」


 夕餉の支度の手を休めて、足早に台所を離れてリビングへと向かう。
 すると、さっき様子を覗いた時と変わらない大の字状態のお姫様が実に心地良さげに寝息をたてている。
 むう――どうやら、さっきのは寝言だったようだ。
 まったく傍迷惑なヤツだ。
 起きている時だけでなく、夢の中でも僕を召使いのようにしているのだろう。
 おそらくは先週の日曜日のように、炎天下の中、いちごの乗ったショートケーキと、こだわりたまごのとろけるプリンを買ってくるように命じたように。

 彼女が目を覚まさないように気遣いながら控え目にため息を洩らしつつ、そのまま台所へ戻ろうと向き直ったのだけれど、またしても背後から僕を呼ぶ声が――。


「ちょっと、シンジー。
 早くこっちに来なさいよー」


 びくり――と、思わず身を震わせつつ、再び振り返って、2〜3歩彼女の方へ近寄って様子を窺ってみる。


 いつも僕を睨みつける青い瞳は幸いにも閉じられたままだ。
 やはり眠っているのか?
 それとも眠ったフリをしていて、僕をからかおうとしているのか。

 肉食動物の如く、おなかが空いたら目を覚ますような習慣のある彼女だ。
 可能性が高いのは前者だと思うのだけれど、後者の可能性も否定はできない。

 そう、このお姫様ときたら、いつだったか、退屈だという理由だけで、最近覚えたというプロレス技を僕に仕掛けてきた事があった。
 なんと理不尽なことだろうと、同情して欲しい所だよ。
 激しい投げ技で床に叩きつけられ、ふらつきながらも身を起こそうとしていると、今度はボディプレスが飛んできて。
 息も絶え絶えに抵抗力を失っている僕はあっさりとギブアップしてしまおうとするのだけれど、やっぱりお姫様はそれを許してくれない。
 ならばリングアウト負けを狙って逃げようとするのだけれど、獲物を射程圏に捕捉したチーターのように素早く襲ってくる彼女の前に、トムソンガゼル状態の僕は簡単に捕まってしまう。

『ほら、悔しかったら、アタシを押し倒してみなさいよ』

 ――と、挑戦的な視線を向けて手招きするお姫様だが、そんな暴挙に打ってでられる筈もない。
 万が一にでも、そんな行為に及んでしまったものなら、明日の朝日を拝むことが出来なくなってしまうだろうからね。
 そもそも心穏やかなか弱い草食動物が、血気盛んな肉食獣を押し倒すことなんて出来る筈がない。
 結局、その時は散々な程に屠った後、まさに生きる屍と化した僕をわざわざ抑え込み、ゆっくり3つカウントを数えて彼女は勝利宣言をした次第。

『負けた罰として、明日の休みはアタシの荷物持ちね』

 そんな事を言い捨てていたっけ。
 別に勝負を挑んだつもりはないのに罰を受けるなんてあんまりだと思うけれど、正直、こんな勝負をしていなくても、休日の度に荷物持ちを命じてくるから、そんなに落胆はしなかったんだけどね。今更だし。
 荷物持ちと言っても、その肉体的疲労よりもお姫様による精神的な重圧から疲弊してしまう事が多くて。
 まずは、出掛けに髪型が(微妙に)いつもと違っている事に気付かないと罵詈雑言の嵐。
 そして髪型だけでなく、靴までチェックしなくちゃならない。
 似合っているとか、可愛いとか――僕のボキャブラリーの底の浅さを追及するためか、三つ以上の形容を求めてくる事もある。
 いや、今更だけど、いったいどこぞの国のお姫様のつもりなのかと、正座させて小一時間ぐらい説教したい所。

 必要以上に繰り返し行われるネルフでのテストやら検査の数々にうんざりしつつも健気に耐えて、返す刀で他のクラスメート達と同じ物量の宿題を何とかこなし、矢尽き、刀折れ――という有様の中、炊事・洗濯・掃除等々、専業主婦並の家事を担う破目になっている我が身の運命を呪いつつ、か細いこの身に鞭を打って勤しんでいると言うのに、この暴君は従者のささやかな安息日までも頻繁に奪ってしまう訳で。
 これって、近年青少年に課せられた耐久試験の類なの?
 それとも僕が気付いていないだけで、遠回しにいじめに遭っているのだろうか。

 将来、このお姫様と結婚する事になる勇者には心から同情するし、敬意を払いたいと思う。

 さて――かなり蛇足してしまった。
 本題に戻ろう。
 そう――目の前ですやすやと眠っていると思しき彼女。
 はたして本当に眠っているのか、どうか。
 まだ結論を出すには時期尚早だろう。

 下手に声を掛けてしまい起こしてしまって、今頃になって「今夜はうな重がいい」とか言い出したら大変だし。

 仮に本当に眠っているとして、先ほどの寝言はどう判断すべきなのだろうか。
 夢の中でアイだのコイだのを語るような奴じゃない。
 夢の中でのお相手が加持さんなら話は別かもしれないけれど、彼女は明らかに“シンジ”と口にしていた。
 やはり、夢の中でも何かを命じている、或いは命じようとしていると考えるべきだろう。
 この場合、怖いのは目が覚めてすぐに夢と同じことを僕にさせようとする可能性だ。
 桑原、桑原。
 ――と、落雷除けの呪文を口にして、やはりこの場から立ち去るべきか、と思い浮かべた。
 寝起きのタイミングに居合わせると、その夢の事を思い出すかもしれない上に、寝顔を見られていたと判ると彼女は激しく怒るだろう。
 その危険性を考慮すればこの場に留まるべきではない。

 しかし、もうひとつの可能性もまだ検討を要する。
 先程も触れた通り、既に目が覚めていて、僕をからかうためにあのような発言をしたという場合だ。

 この場合、彼女は眠っているフリをしつつ、内心ではニヤニヤと笑っているだろう。
 そして狩られるべき餌が射程圏に入るのを待っている筈だ。
 どんな悪戯をするつもりかは想像の範疇外だけれど、判っているのはただひとつ。
 この状況で無視をすれば、間違いなく彼女の逆鱗に触れてしまうという事だ。

 つまり、留まっていても、退散しても、甚大な痛手を被る可能性があるという訳で。

 さあ、困った。
 チラリともう一度、寝姿を確認。
 そこに不自然な振る舞いは見受けられない。

 それにしても、無防備な寝姿だよなぁ。

 リツコさんが言っていたけれど、ネコは本当に気を許している相手の前でないと、腹を見せて眠ったりはしないそうだ。
 気まぐれな所から判断してどちらかと言えば、アスカもネコ科的な性格だと思うけど、彼女の場合は同じネコ科でも、ライオンとかトラのようなものだと思う。
 インパラやトムソンガゼルが周囲に居ても襲われる心配なんて無いのだから、平気で眠ったりできるのだろう。
 ――と、そんな見解をリツコさんに伝えた所、「まだまだシンジ君は異性の気持ちが判ってないわね」と笑われてしまったっけ。
 例えばマヤさんみたいに年の差を感じさせない可憐な異性が相手なら努力して相手の気持ちを理解しようと思うけれど、このお姫様の場合は異性というより異星人だからなぁ。
 努力したところで、理解できる訳がない。

 それにしても、ホント、気持ち良さそうに眠っている(眠っているフリでなければだけど)。
 大人しくしていれば、確かに可愛いとは思うけど――って、ち、違うよっ。
 あくまでも一般論の話であって、僕の個人的な見解なんかじゃないんだからね!

 ああもう、いったい僕は誰に向って言い訳をしているのやら。

 そんな時だった。
 またしても、彼女が寝言を口にしたのだ。
 しかも、はっきりとした口調で。


「ねぇ〜、シンジぃ、早くぅ〜」


 随分と艶っぽい響きと甘い吐息を洩らしながら、寝返りを打ってみせたお姫様。
 ほ、本当に寝言なのだろうか。
 寝言だとしたら、どんな夢を見ていると言うのか?

 ――そんなコトより、大変な事実が判明。
 さっきよりも露出している肌の部分が広がっているような気がするんですけど。
 元々布地の部分が少ないタンクトップは更に捲られて、ヘソは勿論全開状態っ。
 それどころか、このままでは発育著しい乙女の大切な部分までも大ピンチになってしまいそうな気がする。
 既に露出した胸の膨らみの下の辺りの地肌が眩しくって直視できない――って、あれ?
 ひょっとして、このお姫様、ブラをしていないのではないだろうかっ?!

 ひ、非常事態宣言発令っ!
 冗談じゃない、シタチチまで見てしまったコトがバレてしまったら、確実にお仕置きレベルはSランクにまで跳ね上がってしまうよ。

 とりあえず、もう迷っている猶予が無いことを確認。
 僕の脳内のメルキオール、バルタザール、そしてええと、なんだっけ、カウパー?
 いや、カスパーだったか。
 とにかく三者揃って戦略的撤退を全会一致で推奨している。

 そこで、あたふたと身を翻してその場から逃げ出そうとした僕だったのだけど。
 後になって振り返ると、敵に背を見せてしまったコトが最大の敗因であったのかもしれない。

 確認しておこう。
 眠っていたか、或いは眠っていたフリなのかはともかく、ついさっきまで、彼女は間違いなく大の字になって仰向けになっていた筈である。

 しかし、僕が背を向けたその瞬間におそらくはコンマ1秒ぐらいで起き上がったのだろう。
 次の瞬間、僕はシャツの襟首の後ろの辺りを掴まれたかと思うと、そのまま強引に後方へと引っ張られ、仰向けに倒されてしまっていた。
 勿論、激しく後頭部を痛打。

 呻くような短い悲鳴を洩らした僕に構わず、彼女は僕のお腹の辺りにどすんと音を立てつつ、腰を下ろす。
 所謂マウントポジションという体勢と化した次第。


「まったく、なんで肝心な所で勇気を出してくれないのよ……」


 あまりの小声で何と言ったのか聞き取れなかったのだけれど――後になって教えて貰ったのは、この時に彼女が洩らしたその言葉だった。

 しかし、その時、実際に聞こえたのは続いて放ったこの言い草だった。


「アンタはアタシの下僕なのよ!
 そしてアタシはアンタにとって、世界で一番のお姫様なの!
 アタシが退屈そうにしていたら、楽しくさせるコトがアンタの義務っ。
 いちいち呼ばなくても、それぐらい察しなさいよね!」


 あー、自分で言っちゃいましたよ、お姫様って。
 ――で、僕は下僕ですか。
 そんな風に考えているのだろうとは思っていたけれど、こうして口に出して面と向かって言われて、事勿れ主義で何事にも従順なスタンスを旨としている僕だけれど、この時だけは遂にぶちっとキレてしまった。


「ふざけるなっ!」


 強引に身を起こして、僕のお腹の辺りに座っていたアスカを跳ね飛ばすように立ち上がる。
 すると彼女は何が起きたのか判らないのか、床にぺたりと座ったまま呆然と口を開けて僕を見つめている。
 そんな彼女に対して吐き捨てるように僕は更に口を開いた。


「世界で一番のお姫様? そして下僕?
 冗談じゃないよ、今まで随分と我慢してきたけれど、もう限界だね。
 今日限り、僕はここから出て行く。
 ミサトさんには後で了解を貰うさ。
 従順な下僕が欲しいのなら、悪いけど他をあたってよ。
 君なら幾らでも候補は見つかるだろう?
 僕なんかより気が利く男はそれこそ星の数より多いだろうからね」


 こうして溜まりに溜まった鬱憤を吐きだした後、僕は深いため息をひとつついた。
 この後、激怒した彼女に暴力の限りを尽くされようが構いはしない。
 とにかく、僕は決めた。

 彼女とは明確に線を引いて離れよう。
 ネルフに属している以上、完全に縁を切ることは出来ないけれど、取りあえずプライベートの部分だけは完全に切り離して貰って顔を合わせなくて済むようにしたい。

 元々、エヴァが無ければ出会う事すらなかった訳で。
 そうさ、住んでいる世界が違う相手だったのだから。

 これできっと清々するさ。
 こんな面倒なお姫様の相手をしなくて済むし、少しは心にゆとりが出来る筈だ。
 昔みたいにトウジやケンスケたちと遊びに行く事も自由に出来るようになるし、万々歳じゃないか。

 それなのに。
 それなのに、何故だろう?
 なにか、こう――胸の中に言い表し難いしこりを感じて、呼吸が苦しい。
 まるで鉛の塊を飲み込んでしまったように。

 この気まずい雰囲気が僕を圧迫しているのか?
 いや、違う。
 これは何か別なもの。

 開けてはならなかったパンドラの箱の蓋を開けてしまったような。
 いや、そんな神話的なたとえじゃなくって、もっと身近なものとして感じるべきなのに、経験値の低い僕は気付けずにいる。

 そんな時だった。
 呆然として、床に座り込んでいたままだったアスカが動いた。
 ああ、きっとこのまま立ち上がって、僕を殴ったり蹴ったりするのだろう。
 むしろそうして貰った方がすっきりとするかもしれない。
 そう思った僕は、少しだけ身構えて、歯を食いしばった――のだけれど。

 彼女の行動は僕の想像の範疇を遙かに逸脱していた。


「いやぁぁぁぁっ、アタシを捨てないでぇぇぇっ!」


 そう叫んだかと思うと、彼女は四つん這いになり、そのまま這い寄ってきて、その場で立ち尽くしていた僕の足にしがみ付いてきたのだった。


「えっ、ちょっと、アスカ?」


 慌てて後ずさると更に彼女は必死ににじり寄り、今度は絶対に離さないと言わんばかりに僕の腰の辺りに顔を埋めて、力いっぱいにしがみ付いてきた。


「悪いところがあったら、アタシ、一生懸命直すからっ!
 こんな風にワガママが言えるのはシンジだけなの!
 他の男なんて、絶対にイヤっ!
 だから、お願いっ。
 ずっと、世界でアタシだけの王子様でいて頂戴っ」


 僕の腰の辺りに埋めていた顔を僅かに上げて、上目遣いで視線を向けてきた彼女の目許には光る雫が零れていて。
 その瞬間に僕は悟った。
 さっき感じた胸の中の重たいしこりは、彼女を傷つけてしまったと――気付いているのに気付かないフリをしていたから、そう感じたんだ。


「ごめんね、アスカ――」


 どうしてだろう。
 絶対にこんな我が侭極まりない女の子は好みのタイプではない筈なのに。
 もっと純朴で可憐で、そして家庭的な性格の女の子が好きだった筈なのに。

 いやいや、早まるな。
 これは孔明の罠かもしれないって。
 ここでうっかりと抱き締めたりしちゃったら。
 そして将来を誓うような歯の浮くセリフを口にしちゃったら、僕は生涯に渡って、この牢獄から逃れられなくなるだろう。

 それなのに、嗚呼、それにのに。


「僕はどこにも行かないよ。
 これからも、ずっと――ね」


 気がつくと、僕はその場に跪いていて。
 しゃがんだままの彼女を胸に引き寄せて、そのまま抱き締めてしまっていたのだった。







 それからどうなったかと言うと、本当はあまり語りたくない所なのだけれど。
 それでも少しだけ後日談について触れておくべきなのだろうか。

 もっとも、今はちょっとタイミングが悪い。
 今日は天気の良い日曜日。
 こんな絶好のお出かけ日和に家でのんびりとしてくれるお姫様である筈もなく。


「ほら、シンジ。 早くついて来なさいっ。
 置いて行くわよ!」


 そう――僕のお姫様は買い物に出掛ける事を朝早くに宣言し、従者である僕に荷物持ちを命じた訳。
 つまりは、以前とあまり変わっていないと言えば変わっていないのかもしれない。

 けれど、ちょっと変わったのは。
 いや、大きく変わった部分と言えるのかな?


「右手がお留守なのをなんとかして!」


 そう言って、大げさに右手を振っている僕のお姫様。
 そっぽを向いているから表情は窺えないけれど、きっと頬を赤く染めているのだろう。
 ちょっと恥ずかしいし、困ったものだけれど、従者としてはお姫様の要望に応えなければならない。

 いや、いっその事、「轢かれる、危ないよ」とか言いながら、ふいに抱きしめてしまおうか。
 そんな悪戯を思い浮かべたものの、それはまた次の機会にしておこうと思い直し、僕は彼女の右手をそっと握ったのだった。

 この細い手をした僕だけの、世界で一番のお姫様を守っていかなくては――と静かに誓いながら。





- おわり -





 既にお気づきの方もおられる事でしょうが、本作品は、各VOCALOIDによる多くの作品群の中でも有名な曲のひとつであります「ワールドイズマイン」をイメージしながら創作致しました。
 ご存知でない方は、こちらで視聴できますので、ぜひ一度、お聴きになって下さいませ。



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