
この作品は、『Fate/hollow ataraxia』にて用いられたエピソードに準じている部分があります。 従いまして、『Fate/hollow ataraxia』を未プレイであり今後プレイされるご予定のある方や、現在プレイ中であり、未だコンプリートが完了しておられない方にはお勧め致しません。 どうぞご了承下さいませ。 |
『ふしぎなイリヤ』 (40万ヒット達成記念) by イイペーコー |
晩秋の時期を迎え、日一日と肌寒くなってきたある日の事。 ここ数日、イリヤスフィールはご機嫌ナナメであった。 特に今日は不機嫌の度合いがピークに達しているようにも窺える。 犬が歩けば棒に当たる。 イリヤが歩けばネコも避けて通る――と言ったように可憐なその面持ちとは反比例するかのように、ある種近寄り難いと言えよう刺々しいオーラを漂わせながら街中を歩いていた。 彼女をこんなにも不機嫌にさせたのは数日前の日曜日の出来事、衛宮士郎と連れ立って新都へ出掛けた時の事がきっかけとなっている。 難敵揃いの衛宮家において、士郎を独占できる日が訪れる事は決して多くはない。 家長である彼が中学生だった頃――藤村大河を除けば、女っ気が全く無かった頃があった事など今では信じられない状況下である。 前述の藤村大河に始まって、セイバー、遠坂凛、間桐桜、ライダー、カレン・オルテンシア、バゼット・フラガ・マクレミッツ。 我こそは正ヒロインとばかりに、その薄くて小さな胸を張るイリヤスフィールではあったが、どこぞのギャルゲーなのかとツッコミが入りそうなこの女所帯の有様に、日頃から強気な彼女も、流石に不安な気持ちを抱いてしまう事は決して少なくないようだ。 しかも衛宮邸において自室を有していないのは、彼女と大河の二人だけ。 所謂、某道場コンビのみが、彼の家の中でプライベートのフィールドを確保できずに現在に至っている。 付記するならば、“自室”という観点のみに限れば、彼女の従者であるセラまでもが、衛宮邸の使用していない部屋のひとつを秘密裡に潜伏用として改造してあるという。 ある意味、これも立派なプライベートルームと言えようか。 俗に言うツンデレの“ツン”の部分を惜しみなく士郎に対して日頃から覗かせているセラも、ある意味油断ならない相手なのかもしれない――と考え始めた今日この頃のイリヤスフィールであった。 また、イリヤスフィールの感情の類がストレートに反映されてしまう傾向にあるリーゼリットも、やはりど真ん中ストレートに士郎の事が大のお気に入りであるようだ。 気が付けば対士郎攻略戦においては孤立無援、四面楚歌であるのかもしれない。 そのような苦戦の続く中、イリヤスフィールは久方ぶりに士郎と連れ立って出掛ける機会に恵まれたのである。 いつもならば金魚の糞(イリヤ視点において)のように一緒に付いてくる他の女性陣の姿もない。 所謂ひとつの二人っきりという状況であり、いかに第三者からの視点で見れば、幼い少女の面倒を任されたお兄さんの図――であったとしても、彼女にとって見れば文句なしにデートの構図である。 それはもう前の晩から検討に検討を重ね、嫌がるセラとリーゼリットを強引に観客に見立て、3時間を超える程にファッション・ショーを繰り広げたイリヤスフィールの今日の装いは当社比ならば3割増ではないかと思われる程の力の入れようであった。 もっとも、その重ねた検討の結果、士郎の好みを勘案したのであろう。 派手目の組み合わせは避けて、シンプルにグレーのニットカットソーをベースに、秋色を意識したのか赤みを帯び落ち着いた感のある茶系のスカートとジャケット、加えてチョコ茶のロングブーツという装いである。 ワンポイントにシックな雰囲気を醸し出すブロンズ色のベレー帽をちょこんと頭に乗せて、“一見、幼い美少女。でも、本当はオトナの一面も持っているんだゾ”――という切り口であるという。 元より、イリヤスフィールは美辞麗句を連ねるまでもなく、万人が認める美少女である。 たとえ幼い少女を愛でる嗜好がなくとも、着飾った彼女の姿を街中で見かければ、思わず誰もが立ち止まって視線を注いでしまうと言えよう。 そして意気揚々と“今日こそは鈍感大魔王のシロウを撃墜して見せるんだからっ!”――と、その小さな握り拳を突き上げて出陣したのではあったのだが――。 肝心のデートコースを衛宮士郎に一任してしまったのが、彼女の敗因であった。 イリヤスフィールを連れて彼が真っ先に向かった場所は映画館である。 その点に限って言えば、決して誤った選択肢ではない。 ムードのある恋愛物の作品を視聴するなら、それはそれでひとつの成功例となりえた筈であったのだが。 『どーして、私がハムタローみたいなガキっぽいアニメの映画を観なくっちゃいけないのよっ!』 ――と、言い放ったイリヤスフィールであったが、視聴前ではなく、たっぷりと堪能し、見終わった後のこのセリフでは説得力は皆無と言えよう。 『どうして――ってさ、イリヤはあのアニメが大好きだろ? いつも放送が始まる前からテレビの前で正座してさ、食い入るように観ているじゃないか。 それに、今日の映画だって随分と夢中になって観ていたと思うぞ』 『ああもうっ、うるさいわよっ! そんなコトはどうでもいいの! 折角のデートなんだから、もっと雰囲気の良い所とかっ――』 ――で、次に彼に連れられて行った場所が、デパートの玩具売り場である。 ワナワナと肩を震わせて、『こんな所ぢゃなくってー!』と更に不満の意を示そうとしたイリヤスフィールであったのだが、その場で彼女の背丈に匹敵するような大きいテディベアのぬいぐるみをプレゼントされてしまい、その心地良いふかふかな抱き心地も手伝って怒るに怒れず、なんとも形容し難い引き攣った笑みを浮かべた彼女であった。 その後も子供向けの雰囲気漂う甘味処やら、大型書店の絵本のコーナーやら。 楽しくなかったのか?――と問われれば、悔しいけれど結構満足してしまった――と頷かざるをえない一日を振り返り、その行き先の無い憤りをぶつけるように『シロウのばかぁー!』と、彼の弁慶の泣き所をしたたかに蹴りつけて、折角のデートの日を健全に終えてしまった彼女であったのだった。 その場の雰囲気次第では、『どこかに“ご休憩”して――ううん、いっそのコトお泊りしてもいいわ』などと、教育係のセラが耳にしたなら目を三角にしてしまうような不埒な考えまで抱いていたイリヤスフィールとしては、士郎の自分に対する子供扱いは我慢ならない仕打ちであったと言えよう。 「ああもうっ、何度思い出しても頭にきちゃうっ! シロウったら本当に失礼しちゃうんだからっ! こんな素敵なレディが傍に居て据え膳を差し出しているのに、手付かずで帰しちゃっていいと思っているのかしら!」 ――と、声を荒げるイリヤスフィールではあったものの、万が一にでもそのような行為に至ってしまったなら、彼女の実年齢は別として、客観的に第三者から見れば、士郎は即犯罪者の烙印を押されてしまう事であろう。 ぷんすか、ぷんすか――と、擬音が聞こえてきそうな仕草を覗かせつつ、特に行くあても無く新都の街中をぶらついていたのであったのだが。 ふと、何かに気が付いたのだろう。 急に表情を引き締めると、射抜くような鋭い視線をビルとビルの合間の小路へと向ける。 そのまま躊躇せずにその小路へと足を踏み入れると、その奥の路地裏へと歩みを進めるイリヤスフィールであった。 その路地裏の隅には蜜柑箱程度の小さなテーブルが置かれており、そのすぐ傍には黒いベールを頭から被った老女が静かに座っていて、どうやらそこで何やら物売りをしている様子である。 その雰囲気たるや、一言で言い表せば、異様という表現に尽きる。 水晶でも手にしていれば呪い師の類ではないかと思えるような陰気臭い様相であり、被ったフードの隙間から覗かせる幾重にも歪んだ頬の小皺が老骨の身であろう事を否応無く証明しているようでもあった。 付け加えれば、そのテーブルに置かれた商品と思しき瓶と、その傍に立て掛けられた立て札が無ければ、物売りではなく、物乞いでもしているのかと勘違いをしてしまう所であろう。 何故、彼女はその老婆の事が気になったのか。 その座り込んでいる老婆の前まで歩み寄ると、イリヤスフィールは腰に両手を添えて胸を張りながら口を開いた。 「奇遇ね。こんな所で会うなんて。 ――で、これは何の真似事なのかしら?」 そう声を掛けられた老婆であったが、ずっと俯いたままの頭を上げようとはしない。 イリヤスフィールの声が聞こえないのか、或いは聞こえていないふりをしているのか。 「あら、アインツベルンも舐められたものね。 まさか目の前で相対しているのに気付かれずにいるとでも思っているのかしら? ――まあ、いいけど。今更、貴女と事を構えるつもりなんて無いし。 それに今日はバーサーカーを連れてないから、さすがに貴女が本気になったら、この私も尻尾を巻いて逃げ出すしか手は無くなるでしょうしね。 それはともかく、どんな茶番を演じてくれるのかしら? 暇つぶしに付き合ってあげる。 ――で、お・ば・あ・さ・ん、何を売ってくれるの?」 小さなテーブルを挟んで向かい合うようにその場に屈んだイリヤスフィールに対して、老婆はテーブルの上に置いてある唯一の売り物と思しき、小奇麗な瓶をずいと差し出して見せた。 よく見るとその透明のガラス瓶の中には、青と赤に色分けされた二種類のキャンディが沢山入っている。 「ふーん、“ふしぎな瓶”ねぇ……」 立て札に書かれてあった商品名を読み上げて、胡散臭そうに表情を曇らせながら、更に口を開くイリヤスフィールであった。 「“ふしぎな瓶”って、どういう意味なの? おばあさん」 すると、ようやく手順通りのセリフが言える――とばかりに、ずいと面持ちを上げ、いかにも重々しいという口調で老婆は言葉を返した。 「ふしぎな瓶――という意味でございます」 決まった!――とばかりに内心ガッツポーズをしているのか、老婆はにやりと笑みを溢して見せる。 「あー、そのアニメの話なら、知っているわよ、私。 シロウの家にあったビデオで観たことがあるから。 確か、この後はお客が更に商品の事を尋ねても、“それはお買い上げになられた方だけが分かる事でございます”とかなんとか答えるんでしょ?」 勝ち誇るつもりが、あっけなく手の内を晒され、遂に白旗を上げるつもりになったのだろう。 老婆は大きくため息を洩らしたかと思うと、はらりと被っていたベールを脱いだ。 すると、黒くくすみ小皺だらけであった筈の老婆の肌は一瞬にして瑞々しい白い肌へと変貌を遂げた。 さらさらとした薄紫色の長い髪から覗かせているエルフのような長い耳が印象的なその老婆――いや、もう既にその姿は老婆ではない。 妙齢の色香漂う美しいその女性の正体は――。 「まさかアインツベルンのお嬢さんが、日本の古いアニメ作品の事を知っているなんて意外だったわ。 そんな庶民的かつマニアック的な知識も有しているのね」 「どういたしまして、葛木メディアさん」 小悪魔的な笑みを見せて、いかにも何かしらの企みがあるのではないかという雰囲気が露になっているイリヤスフィールであったのだが、彼女が先ほど投じたその一言によって、既に勝敗は決していたと言えるのかもしない。 「葛木っ――メディア、ですって?!」 性能の良いリトマス試験紙でも、ここまで見事に反応する事はないだろう。 まるで初恋という病に苛まれている純朴な乙女のように、彼女――キャスターは頬を赤く染め上げた。 「あら、失礼だったかしら? シロウから貴女と葛木宗一郎さんはお似合いの鴛鴦夫婦のようだと聞いていたから、そう呼んでみたのですけど」 「しし、失礼なんかじゃなくってよっ! そう、あの坊やったら、そんなコトを――うふふ、とっても良い子ねっ。 ええ、それはもう衛宮士郎の言う通りよ。 ですから、今も昔もこれからもっ! この私の事は葛木メディアと呼んでくれて結構よっ♪」 この世の春が、盆と正月とを両手で繋ぎ、スキップしながらやってきた――とばかりに、その場でくるくると回って、見ようによっては華麗なダンスのようなステップを踏むキャスターであった。 「ところで、葛木メディアさん。 この瓶に入っているキャンディ、とっても美味しそうね。 少し頂いていいかしら?」 「ああ、それ? うふふっ、いいわよ、勿論。 少しなんて言わずに瓶ごと持っていきなさい♪」 「あら、ありがとうございます、新妻の葛木メディアさん。 それでは頂いていきますね」 “きゃー新妻ですって〜”と彼女が悶絶するように身を大きく震わせている内に、イリヤスフィールは、テーブルの上に置かれてあった“ふしぎな瓶”を手にして、そそくさとその場を後にして行ったのであった。 それから暫くして――ようやく落ち着きを取り戻したキャスターが、「ああ、あの瓶をタダで渡してしまうなんて。宗一郎様との新居の建築資金を早く貯めたいのに〜」と、ため息混じりに洩らしていたのであるが、後の祭であるのは言うまでもなかった。 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 『セラ、いつもご苦労様。 お礼にこのキャンディをあげるわ』 アインツベルンの城に戻ったイリヤスフィールの行動は素早かった。 そう言って従者である彼女に例の“ふしぎな瓶”に入っていた赤いキャンディを手渡して飲ませたのは数分前の事。 その場で7〜8才ぐらいの幼女に変身してしまい慌てふためくセラを見て、「面白そうだから、わたしも飲む」と手を差し出したリーゼリットにも同様のキャンディを与え、メイドコンビを揃って幼女化させる事に成功したイリヤスフィールであった。 「あの魔女さんの事だから妙な薬だとは思ったけれど、やっぱり赤と青のキャンディって、あのアニメのネタをそのまま用いて作ったワケね」 あのアニメとは――と、ここで長々と説明を付記するのは蛇足というものであろう。 この作品のタイトルで察して頂ければ幸いであるし、察する事が困難であれば、良い子はお父さん、お母さんに尋ねて欲しい。 「――というコトは、こっちの青いキャンディなら、きっとむちむちぷりんで、ぼん、きゅっ、ぼん、ね♪」 にやり、と策士の微笑を浮かべ、「リズ、貴女の普段着をちょっと借りるわよ」と告げて、足早にその場を後にしたイリヤスフィールである。 イリヤスフィールの良からぬ狙いを敏感に察したセラは、勿論彼女を止めようとしたのであるが、纏っていた礼装はすっかりとだぶだぶになってしまい足に絡まって歩く事もままならない。 どうにか弛んでいた礼装の裾を小さくなった両手で掴んで捲り上げ、イリヤスフィールの後を追おうとしたセラであったが、今度は身に付けていたブラやショーツがずり下がってしまう。 「お、お嬢様―っ、お待ち下さい〜!」 更には初めて幼児の体型になって妙に喜んでいるリーゼリットに抱きつかれ――身動き出来なくなったセラは、聞く耳を持ってくれる筈もない主人に対して声を上げるより他なかったのである。 そして更に数十分後――再び、アインツベルンの城を後にして、愛車を飛ばし深山町へと向かうイリヤスフィールの姿があった。 その姿たるや、雪の妖精と評されるようないつもの幼い容姿ではない。 細くて長いその脚は世界のトップクラスのモデルと並んでも決して見劣りはしないだろう。 また、くびれた細い腰は抱き締めれば折れてしまいそうな程である。 そして艶やかな長い銀髪は腰まで届く程であり、清楚で高貴な雰囲気の漂うその美貌に見事なまでに映えている。 まさに完全無敵の美女、ここに光臨と言う所であろう。 もっとも、当の本人としては、いささか不満もあるようだ。 「ちぇーっ、もう少しシロウ好みにおっぱいも大きくなると思ったのにー」 ハンドルを握るその手が思わず乱暴な運転になってしまう。 どうやらリーゼリットの服を借りようと思ったものの、胸の辺りのサイズが大きく異なってしまい、結局はセラの服を借りるはめになってしまったようだ。 「やっぱり、シロウにはしっかりと責任を取って貰って、私の胸を大きくして貰わなくっちゃ」 血は繋がっていないとはいえ、兄と妹――いや、弟と姉という関係である。 彼女の言う所の“責任”を本当に取って貰うと言う事は、ネコまっしぐら――ならぬ、背徳の道まっしぐらという路線なのであるが、周囲の視線や声など眼中になく、こと士郎の事に関して言えば、天上天下唯我独尊の八文字熟語を信念に突き進む彼女である。 仮に本当に血が繋がっていても、彼女にとってみれば、への突っ張りにすらならない障害に過ぎないのかもしれない。 たとえ赤い糸で結ばれていなくても、強引に自分の小指と彼の小指とを結びつけようとする――そんな彼女のスタンスが功を奏したと言えようか。 或いは、やはりイリヤスフィールにとって衛宮士郎という男は運命の人であるのかもしれない。 「たーげっと、ろっくおんッ!」 力強く宣言した彼女の瞳は、その日の授業を終えて下校中の衛宮士郎の姿をしっかと捉えていた。 どうやら今日も今日とてコペンハーゲンでアルバイトに勤しむ予定なのだろう。 彼の足は新都の方へと向かっている。 たまたまその時刻に、アインツベルン城から深山町へ車を走らせた彼女のそのルートに彼が現れたのは、まさに偶然、いやいや運命、それともご都合主義の成れの果てか。 ここで逢ったが百年目――と、美少女(美女?)らしからぬ血走った目つきで愛車を更に走らせ彼に近寄っていく。 「うふふっ、この姿なら絶対に子供扱いされないしっ! オトナの乙女の色香で士郎のハートを根こそぎ鷲掴みしちゃうんだからっ!」 ハートどころか、そのまま息の根まで鷲掴みしてしまいそうな勢いを感じさせつつ、イリヤスフィールは士郎が歩いているすぐ傍で愛車を止めると、優雅にドアを開け、悪戯な風に髪をくすぐられつつ颯爽と降り立ち、ぼんやりと歩いて来る士郎を正面から見つめた。 (うわ、この目線でシロウを見るのって初めてかもっ) その将来はアーチャーのように長身になる事がほぼ決定的な士郎であるが、今の時点ではまだ170cmに届かない彼の背丈。 それでも普段のイリヤスフィールの目線ならば、30cmの定規1本分以上に見上げなければ彼の顔を見ることが出来なかった。 それがどうだろう。 今の姿なら、自身の目線を真っ直ぐにして士郎を見つめると、視線の先は彼の口もとの辺りが正面になる。 そんな新鮮な感覚に内心はどきどきと胸を高鳴らせながらも、どうにか冷静な素振りを装う事は出来たようだ。 「すみません、ちょっといいですか? 少々迷ってしまったものですから、道を教えて頂きたいんですけど」 すぐに正体がバレてしまっては面白くない――と、イリヤスフィールは意識して声質を低くしながら士郎に話しかけた。 「え? あ、俺ですか?」 女性比率の高い衛宮邸。 ついでに言えば、美人の割合も100%と言っても過言ではない程に極端に高い訳であり、否応無く日頃から美少女並びに美女に対する免疫は出来ていた筈の士郎であったのだが――。 (す、凄く綺麗な人だな…) 彼の良く知る銀髪の幼い少女と同じ髪の色、そして円らで宝石のような赤い瞳も同じであり、親近感を持ったのも束の間。 ハリウッド女優、はたまたどこぞのトップモデル――と紹介されても、大きく頷いてしまうであろうその美貌に思わず慌てふためいてしまう士郎。 多少幼さの残る面持ちなれど、年の頃は20代前半か――いずれにしても自分よりは年上である事は間違いないだろうと見て取った士郎であった。 「あ、はい。俺で良ければ――あ、でも、どこに行きたいんです? 俺の知っている場所ならいいんだけど」 彼のこの返事はイリヤスフィールにとって想定通りのものであった。 衛宮士郎は、たとえ赤の他人からであったとしても、頼まれ事を無下に断る筈はないと予想していたのである。 「それなら心配ご無用よ。 きっと貴方なら大丈夫だから。 どうぞ助手席に乗って下さる?」 見るからに欧米系の顔立ちであるのに随分流暢な日本語だな――と士郎が感心していると、彼が返事をする前にイリヤスフィールは士郎の手を握って、ぐいぐいと強引に彼を愛車の方へと引っ張っていく。 「えっ、あの、ちょっと――」 二の句を継げさせないその振る舞いは、ますます彼の良く知る幼い少女を彷彿とさせていく。 その為だろうか。 半ば拉致と言っても良いだろう強引な行動を見せる彼女に抗う事をせず、士郎はその車の助手席へ大人しく座ったのだった。 「うふふ〜♪」 首尾良く士郎をゲットする事に成功したイリヤスフィールはご機嫌であった。 早速、愛車を再び走らせて上機嫌のままハンドル捌きを見せている。 (シロウと二人っきりでドライブが出来るなんて♪) 叶うものならこのままずっと走り続けたい――と、思い浮かべているイリヤスフィールであったが、一方、さすがに落ち着かないのか、疑問の念を口にし始める士郎であった。 「あのう――この車はどこに向かっているんです? 確か、道に迷っていたんですよね?」 「ああ、あれ? 実はウソなの。ごめんなさいね。 色々あってちょっと落ち込んでいたものだから、誰かとおしゃべりしたい気分だったの。 ちょうどそこを通りかかったら、貴方の姿を見かけて、優しそうな人だな――って思ったので、つい声を掛けてしまったのよ」 その主張さえも半分は嘘であるが、色々あってこの数日機嫌が悪かったのは事実であったし、その原因を作ったのは他ならぬ士郎なのだから、それは構わないだろう――と実にポジティブな自己弁護を済ませると、呆れた表情を隠し切れない士郎を横目にイリヤスフィールは更に口を開いた。 「私の名前はアイリって言うの。 ねえ、貴方の名前を教えて下さる?」 「え? アイリ?」 目の前の女性と印象をだぶらせていたその幼い少女の亡き母の名前がアイリスフィールであった事を思い出し、怪訝な表情を浮かべた士郎であったが、それ以上に考え込ませる暇を与えぬように、片手をハンドルから離し、そのまま士郎の手に重ね合わせて「ねえ、早く教えて――貴方のお名前」と催促して見せるイリヤスフィールであった。 何の躊躇もなくそんな仕草が出来る辺り、意外と巧みに男を操る悪女の素質もあるのかもしれない。 いかに日頃から衛宮家で女性に対する免疫が出来つつあるとはいえ、このような直接的な接触に、士郎は心を落ち着けて居られる筈も無かった。 「お、俺の名前は、え、衛宮――衛宮士郎ですっ」 「エミヤ・シロウくんね。うん、いい名前だわ。 それなら、シロウって呼んでいいわよね?」 危うく名前を尋ねる前に、いつもの調子で彼の事を“シロウ”と呼んでしまう危険性を早々に排除し、“イリヤスフィール”ではない別人を演じ切る事に自信を深めた彼女であった。 その後も実に順調にシロウとの会話を重ねていくイリヤスフィール。 そして、二人を乗せた車は深山町を後にして、大橋を越えて新都へと入り、更には繁華街を抜けていく。 車中という密室的な空間に二人っきりとなり、はや二十分程度の時間が過ぎた頃――そろそろ頃合いと考えたのだろう。 世間話に終始していた話題から一転し、おそるおそるといった様子で核心に触れていく彼女であった。 「――ねえ、シロウ。 貴方、お付き合いしている女性とかいるの?」 「え? “お付き合い”って――その、そういう意味ですよね」 それまではたわい無い会話で、初対面でありながらも、どうにか打ち解けてきた感のあった士郎であったが、唐突に異性を意識させるその問い掛けに思わず戸惑ってしまう。 「ええ、勿論、恋人はいるのかどうか、という質問よ」 女性率の極めて高い衛宮家だが、士郎が特定の女性と付き合っているという実態はない――筈であった。 あくまでもイリヤスフィールの知り得る範囲の情報で判断した推論ではあったが。 冷静に衛宮士郎を取り巻く女性陣を客観的に分析すれば、彼が最も信頼を寄せている相手がセイバーであろう事はイリヤスフィールとて否応無く認識している所である。 何と言っても熾烈を極めた聖杯戦争において、マスターとサーヴァントとして心から身を預け合い、そして背中を合わせて戦い抜いた二人である。 その信頼関係が愛情へとステップアップしていく可能性は否定できない。 視点を変え、最も士郎の事を良く知っている者は誰であろうか。 それは語るに及ばず、彼が幼い頃から面倒をみてきた藤村大河であろう。 しかし、彼女は士郎にとって異性ではなく肉親に近い存在である。 ならば、その藤村大河を除けば、最も彼とのつき合いの長い間桐桜の存在は、士郎の中でかなり大きなウェイトを締めていると言ってもいい。 家人が増えて多忙な状況の多い衛宮家の台所を預かり、その守備範囲においては勿論の事、日常の生活の中では頻繁に士郎との絶妙な阿吽の呼吸を周囲に見せつけている。 現在の所、彼女は士郎にとって可愛い後輩のような位置づけであろうが、いつまでもそのポジションにおとなしく収まっているつもりはないだろう。 続いて“異性”という着眼点で見た場合、かつては士郎にとっても憧れの存在であったという遠坂凛がその筆頭の席にどっかと腰を下ろしていると言えるのかもしれない。 “あかいあくま”の本性を知った今では、かつての仄かな想いは四散した事だろうが、その一方で、魔術の師匠として時には厳しく接しつつ、また時には優しい一面を垣間見せ、更にはごく稀にではあるが、周囲に他者が見受けられないと、日頃のつっけんどんな態度はどこへやら、異性をこれでもかと印象付けるように甘えて見せる一面も有している。 いずれにせよ、これまたイリヤスフィールにとっては看過できない難敵のひとりである事は言うまでもあるまい。 また、もしも士郎が特定の属性を持っていたとするならば、ライダーもまた油断ならない相手になり得る。 ロング(の髪)&巨乳属性は言うに及ばす、メガネっ娘属性というマニアックな部分も確実に抑え、そして何と言っても長身で綺麗なお姉様属性を有しながら、同時に妹属性まで密かに隠し持っている彼女である。 彼女のマスターである桜に「ライダー、おそろしい子!」と言われたとかそうでないとか噂は絶えない。 更には新参ゆえに計りかねる存在ではあるが、カレン・オルテンシア、バゼット・フラガ・マクレミッツという伏兵にも気を配らねばなるまい。 そうした彼女達の存在を脳裏に浮かべ、はたして士郎の口から、その何れかの名前が出るものなのかどうか、イリヤスフィールは内心張り詰めた心境で返事を待った。 「居ませんよ、恋人なんて。 周囲に親しい女性は沢山居ますけど、どうやら俺は男扱いされていませんし。 そう言えば、今までも異性からもてた試しも無いなぁ」 この鈍感野郎めっ!――と女性陣を代表して一発殴りたくなった気持ちをどうにか抑え、イリヤスフィールは、ここが勝負所とばかりに車を路肩に停めて、正面から彼を見据えると、ごくんと思わず唾を飲み込み――そして意を決したように口を開いた。 「そ、それなら、私がシロウの恋人になってあげてもいいわよ」 この際、順番が前後しても構わない。 数多いライバル達に比べて、女性特有の身体的な魅力で言えば、残念ながら現時点では見劣りする部分があるのは否定できない。 ならば、この“ふしぎな瓶”のキャンディによって大人になった姿で士郎を魅了し、恋人同士になってしまえば――。 そしてそう遠くない将来に、恋人同士ならば自然な行為として、“既成事実”を積み重ねていく事ができれば――。 その延長線上において、衛宮士郎を伴侶とする事が出来る――筈である。 「ねえ、どう? 私、女性として魅力はないかしら?」 すっとその細い腕を伸ばして士郎の手に自らの手を重ねて、イリヤスフィールはじっと彼の瞳を見つめた。 (そうよ、きちんと恋人同士になってから――それから本当の正体は私なんだよって教えればいいわ) 「アイリさんが――俺の恋人になってくれると言うんですか」 重ねたその彼の手が汗ばんでいる事を感じてしまう。 初対面とはいえ、初めて異性から告白めいた事を面と向かって言われて胸は高鳴り、激しく動揺しているのであろう。 (シロウは、なんて答えるのかな? 自分で言うのも変だけど、この大人になった今の私の姿なら、胸の大きさは別にして、結構美人だと思うし。 セイバーやリン、サクラにだって、きっと負けてないわ。 ライダーや勿論タイガにだって。――そして) そう思考を巡らせた所で、イリヤスフィールは、はっと我に返った。 (そして――“私”も負けちゃうの? 今のこの私に?) もしも衛宮士郎がアイリと名乗っている今の自分を受け入れたなら、他の女性陣は勿論の事、イリヤスフィールもまた士郎から見れば、恋人にはなり得なかった存在として判断されてしまう。 (私――取り返しのつかない事をしてしまったの?) 早く、さっきの発言は冗談だった――と。 士郎が返事をする前に言わなければならない。 慌てた彼女が口を開こうとした――その時であった。 「ごめん。 俺はアイリさんの恋人にはなれない」 「え――?」 彼のその言葉に、思わずイリヤスフィールは目を丸くして、ぽかんと口を開けてしまう。 「短い時間だけどこうして話をして、アイリさんが冗談でこんな事を言う人ではないって思ったから、真剣に答えます。 俺は確かに恋人はいませんけど、好きというか何と言うか、気になっている子が居るんです」 「ええーっ?!」 思わず演技を忘れて地声のまま驚きの声を上げてしまうイリヤスフィール。 (うそ……シロウに好きな人が居ただなんて?!) 驚愕に続いて彼女の心境を覆い尽くしたのは激しい落胆であった。 確かに彼の周囲には魅力的な女性が多い。 しかし、人一倍異性に対しては鈍感な士郎である。 特定の異性に心が奪われる事など、まだまだ先の事だと楽観視していた自身の甘さを呪うイリヤスフィールであった。 そんな彼女の胸の内を知る由も無く、士郎は自身の想いを言葉にしていったのである。 聞き手が自身の知人ではなく、その自らの想いを話しても、意中の相手である当の本人に伝わってしまう心配はないという安堵感が手伝ったのだろう。 それは普段のぶっきらぼうな彼の口調からは想像も出来ない雄弁すぎる物言いであった。 「どちらかと言えば自分勝手で、妙にお姉さんぶって優しい時もあるんだけど、いつもいつもその子には振り回されっぱなしで。 おまけにまだ、その子とは出会ってからはまだ1年も経っていないのに。 我ながら、軽薄な男じゃないかと思っているんです。 でも、その子が喜んでくれて笑顔を見せると、これ以上ないというぐらいに嬉しくなっている自分に気付いたりして――やっぱり変ですよね、俺」 その幾つかの具体的な説明が、彼の意中の相手を特定していく。 その相手が士郎と出会ってからまだ期間が短いという事を考えれば、大河や桜は除外されよう。 更に士郎を振り回すような性格という点を捉えれば、セイバーやライダー、そしてバゼットも対象外となる。 残るは凛とカレン。 タイプは異なれども、どちらも士郎をまさしく振り回してしまうような性格の持ち主であるが、“妙にお姉さんぶって優しい時もある”という彼の表現が最後の決め手となろう。 (そっか――シロウの好きな人ってリンだったのね) 悔しいけれど、納得してしまっている部分もあった。 魔術師の師匠として、日頃からいつも彼の傍に居る機会の多い彼女である。 また異性としての魅力は言うに及ばず。 衛宮士郎が遠坂凛に心惹かれてしまったのは自然ななりゆきであったのだろう――と。 「ねえ――どうしてその子の事が気になるようになったの?」 これ以上は聞いても更に落胆の念を深めるだけだと思いながらも、イリヤスフィールは聞かずにいられなかった。 どんな部分が自身よりも遠坂凛の方が勝っていたのか。 どんな部分が自分には足りなかったのか。 「どうしてかな? 見ず知らずだったアイリさんだから正直に言ってしまうけど、ある時までは大事な妹のような存在だとばかり思っていたんだ」 「へ?――いもうと?」 桜ならまだしも、凛が妹系の一面を秘めているとは思い難い。 思わず首を傾げたイリヤスフィール。 どうやら、灯台下暗しという日本の格言はドイツ生まれの彼女にも当てはまったようである。 「恥ずかしい話、いや本当に恥ずかしい限りなんだけど、少し前にこの街にある屋内プール場に行った時――彼女の水着姿を見た途端、胸がどきどきとしてしまったんだ。 嘘偽り無くその子の水着姿に見惚れてしまって、あの時はまともに頭が動かなくなったぐらいでさ――」 「胸が――どきどき――したの?」 イリヤスフィールの脳裏にその言葉は特別なものとして記憶されていた。 忘れもしない、あの“わくわくざぶーん”を貸し切りにして皆で遊びに行った日の出来事。 その時、水着姿を披露してから3時間も遅れてからではあったけれど、彼は――頬を赤く染めながらこう言ったのだ。 『……イリヤには、一番ドキドキした』 あれ程までに美女揃いの水着姿を見た後で、彼は――衛宮士郎は、イリヤスフィールの水着姿を見て、彼女が特別な存在であるかのように、最高の形容をしてくれたのだった。 『特別なのはこれでおしまい』 それは彼女が士郎に対して告げた言葉ではあった。 しかし、一方では自分自身に対しても、意味を持ってそう告げたつもりであったのだ。 今日は特別な日に過ぎなかったのだ――と。 彼のあの言葉に期待してはいけない。 明日からは、またいつもと同じ日常が始まるのだと、自分に言い聞かせたつもりでもあったのだ。 再び――イリヤスフィールの胸は激しく高鳴った。 堪え切れぬ程に――そう、尋ねなければ、もう息をする事すら儘ならないといった様子で、声ならぬ問い掛けをしているかのように幾度か口を開けたり閉じたりした後、ようやく絞り出したかのように声をあげた。 「ね、ねえ、もしかしてっ! シロウのっ、好きな人の名前って――」 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 立冬はとうに過ぎ去り、日一日と冬将軍の到来が間近である事を感じさせるようになってきたある日の事。 イリヤスフィールはすこぶる上機嫌であった。 彼女が得意ではない寒い冬を迎えようとしている今日この頃ではあったが、彼女にとっては既に寒い冬など過ぎ去って、暖かい春の日差しに包まれている心境であるのだろう。 『ええ。いつか、また来ようね、お兄ちゃん』 あの“特別な日”が終った最後の別れ際に交わしたその約束。 彼女の言葉を借りるならば、“あんな小さな――見逃してしまいそうな約束”を今回もしっかりと覚えていた士郎であったという事だろう。 「うふふふっ、今回はシロウと二人っきり〜♪」 今回も貸し切りと相成った常夏の地、“わくわくざぶーん”へと向かう2つの人影。 寄り添う――という表現をする為には、一方の人影の方は、あまりにもまだ小さいものであったのだが、それはもうあえて言う必要はあるまい。 他者からどう見えていようが、二人は互いに惹かれ合う関係にあるのだから。 そして――今は兄と妹のように見える二人であっても、いつの日か誰の目から見ても仲睦まじい夫婦のように映る日が到来する事だろう。
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