『騎士王の新たな戦い』
〜その3〜

by イイペーコー



「なあ、遠坂――これ、本当に身体にいいのか?
 けっこう臭いがきついぞ」


「あら、衛宮君ったら疑ってるの?
 遠坂家の秘伝の調合による栄養剤なのよ。
 折角、最近何かとお疲れ気味の衛宮君のために作ってあげたのに」


 今日は土曜日という事でシロウ達の通う学校はお休みでした。
 おかげで今朝はいつもよりやや遅めの朝ご飯だったのですが――その食後の事です。
 休日だと言うのに早朝から臨時の職員会議が召集されているという大河が一通りの不平不満の弁を漏らして学校へと向かった後――桜やイリヤスフィールと共にのんびりとした一時を満喫していたのですが――満を持していたかのようにずいとシロウににじり寄った凛は、我がマスターの言う所の“あかいあくま”という呼称がよく似合う意味ありげな笑みを面持ちに浮かべつつ、その身に隠し持っていた小瓶を取り出しました。

 昨夜は風邪を拗らせてしまったという事で泊まっていった彼女なのですが――病み上がりとはとても思えない程に顔色も良く、そしてすこぶる機嫌の良い様子で食卓に姿を見せたまでは良かったのですが。
 普段世話になっている等の理由を口にして、栄養剤と称する怪しげな液体の入ったその小瓶をシロウに差し出したのです。

 これが市販の物であればシロウも素直に喜んで躊躇する事無く口にした事でしょうが、その小瓶の蓋を開けた途端辺りに広がった言い知れぬ悪臭を嗅いでいるのです。
 更に小さな瓶の口から覗かせる中の液体のどす黒い色を目の当たりにして、戸惑いを隠せないシロウの胸中はよく判ります。

 やはり、ここは私がマスターの盾となり毒見をすべきでしょうか。
 もっとも、彼女がシロウに危害を加える理由などありませんから、毒の類ではないと思いますが。


「あのさ、遠坂――俺、そんなに今は疲れてないしさ、だからこの薬は一旦貰っておいて――」


「ああ、もうっ、男のくせにつべこべ言わないの!
 ほら、さっさと飲むっ!」


 そう言い終えるのが早いか――いいえ、やはり手の方が早かったと思います。
 女性としては些か乱暴過ぎると言えましょう――ガーッと、まるで獣の鳴き声のような声を上げたかと思うと、凛は手にしていたその小瓶をシロウの口に押し付けて無理矢理飲ませてしまったのです。

 それにしても何という早技でしょう。
 サーヴァントたる私が身動きひとつ出来なかったとは……。

 栄養剤との事でしたが、あの臭いと色からして、効能はさておきその味の方は期待できません。
 早速、口直し用とばかりに彼の隣に座っていた桜が温かいお茶を準備してくれています。
 この辺りは、流石は桜と言うべきでしょう。
 凛とは異なり気配りの出来る彼女ですし、またある意味羨ましいと思える程に、シロウとは阿吽の呼吸を普段から覗かせています。
 今すぐには無理としても、私も桜に負けないように頑張らないといけません。
 何と言っても、その――私は一応シロウにとって唯一無二のパートナーなのですし。はい。

 ――と、そんな時でした。
 突然、桜を押し倒すかのように、シロウが彼女に圧し掛かったのです。


「きゃっ、先輩っ!?」


 急須に湯を注ごうとしていた桜は、虚を衝かれた格好になってしまい――見事な程に発育を遂げています豊かなその胸に、シロウの顔が埋もれている形で押し倒されて悲鳴に近い声を上げて驚いているのですが――それでいて彼女のその表情はどこか艶かしくもあり喜んでいるようにも窺えます。

 もっとも、このように冷静に分析を続けている場合ではありません。
 いかに相手がマスターとはいえ、女人に抱きつき押し倒すなどという人道に外れた振る舞いをしているのですから、それ相応の罰を与える必要があります。

 しかもよりによって、この私の目の前で――。


「シロウ、あなたは何をしているのです!」


 私が激しく声を荒げても、シロウはたわわに実った桜の双丘に顔を埋めたまま、身を起こそうとしません。

 ええ、そうですか――そういう事ですか。
 決して嘘の付けない彼の性格を考えれば、ある意味、実にシロウらしい振る舞いであるのかもしれません。

 つまり、浮気をする場合でも、正々堂々と――包み隠さず私の目の前で事に及ぼうと――そういう訳なのですね。

 ならば、私も正々堂々と――パートナーとしての務めを果たすのみです。
 ええ、出来る限り手加減をして差し上げましょう。
 もっとも、これ程にわなわなと手が震えてしまっては、力の加減を忘れて粛正の一太刀を浴びせてしまいそうな予感がありますが。


「シロウ、覚悟は宜しいのですね」


 最後通牒を突きつけるように告げたその言葉にもシロウの答えはありません。
 相変わらず、桜の胸の谷間の奥深くに顔を沈め、その身を彼女に預けたままという有様です。
 そうですか――随分と見縊られたものですね。
 では、その誤った認識を後悔して頂く事に致しましょうか。

 その場ですっくと立ち上がり、僅かににじり寄って間合いを詰めます。
 辛うじて宝具の使用は抑えましたが、既に我が手には愛用の竹刀が握られていて。
 どこから竹刀を持ってきたのか――などという素朴な疑問はご勘弁頂きましょう。
 勘弁ならないのはシロウの不義であり、今は一刻も早くそれを正すべきなのですから。


「待ちなさい、セイバー。
 今、その竹刀を振り下ろしても、士郎は目を覚まさないわよ」


「む。 凛それはどういう意味なのです?」


 大上段に竹刀を振り上げた私を制した凛は、ため息を漏らしながら苦笑いを浮かべています。
 そんな彼女の代弁をするかのように、それまでは我関せずとばかりにテレビを観ていたイリヤスフィールが口を挟んできました。


「セイバー、あなたまだ気が付かないの?
 シロウってば、桜に抱きついているんじゃなくって、意識を失っているのよ。
 ううん、意識を失っていると言うより、眠っていると言うべきかしら」


「眠っている? ですが、イリヤスフィール。
 つい先程まで、シロウは――あ。ま、まさか」


「そのまさか――よ。セイバー。
 さっき士郎に飲ませた薬は栄養剤なんかじゃないわ。
 即効性の眠り薬なの」


「眠り薬? 凛、何故そのような真似を?
 毒の類ではないとはいえ、我がマスターの意識を意図的に封じるなどと言う暴挙を私が許すとでも思っているのですか?
 事と次第によっては、袂を分かつのも止むなしと考えますが」


 射抜くような視線で凛を捉えつつ、私は内心ほっとしていました。
 そうですね、シロウに限って浮気めいた事などする筈もありません。
 ええ、私は勿論信じていましたともっ。

 視界の片隅で、目は口ほどに物を言うとばかりに“何を考えているんだか”――と言った様子で、半眼の眼差しを私に向けるイリヤスフィールの視線が少々痛かったりするのですが――それはさておきです。
 ええ、今は凛の犯した罪を追及する事が先決でしょう。


「さあ、どうなのです、遠坂凛。
 何故、我がマスターに眠り薬を飲ませたのか説明して下さい」


「何故って、それは勿論理由があるわよ。
 今からあなたに宣戦布告をしようと言うのに、肝心の“戦利品”が起きていたら言い辛いじゃない」


 眠り薬をシロウに飲ませたと言うのに、凛は後ろめたいような言動は微塵も見せていません。
 それどころか、何やら吹っ切れた様子で堂々と胸を張っています。
 ここ数日はどこか苛だっている雰囲気を覗かせていた彼女なのですが、まるで厚く覆われていた雲が一陣の風によってすっかりと掃われ、途端に透き通るような青い空が一面に広がったかのような――そんな清々しい様子を窺わせているのです。

 そんな凛の有様に気を引かれてしまっていた為に、危うくその言葉を聞き逃す所でした。


「凛、今なんと言いましたか?
 聞き間違いでなければ、宣戦布告と耳にしたように思いますが」


「ええ、聞き間違いじゃないわ――宣戦布告よ。
 ――って、こら。そんな真顔で身構えたりしないでよ。
 サーヴァントたるあなたに対して、力勝負で喧嘩を売ろうだなんて馬鹿なコトは考えていないから」


「では、何故宣戦布告と?
 それともこの時代には、開戦の宣言の他に意味があるとでも言うのですか」


 すると凛は「やっぱりあなたと士郎は似た者同士ね」と漏らしながら苦笑いを浮かべつつ、更に口を開きました。


「マスター同様に鈍感なあなたにも判るようにはっきりと言ってあげる。
 いい? 本来、こんなストレートな言い方は好きじゃないの。
 でも、今回だけは特別だから――決して勘違いなんてする事のないように正確に伝えてあげるわ」


 これから凛が何を言おうとしているのか――本当は判っていたのかもしれません。
 けれど、どうかそうであっては欲しくなくて。
 これから彼女が告げようとしているその言葉が怖くて――私は鈍いふりをしていたのかもしれません。

 我ながら恥ずかしい話です。
 未来永劫に渡ってシロウの傍に居て仕えようと誓った訳なのですが――こと女性としての魅力については皆無に等しいこの身です。
 凛のように――性格について少々難点がある事はともかくとして――容姿端麗であり女性的な魅力を感じさせる彼女が、シロウに対して求愛行動を示し始めてしまったとしたら。

 やはり――シロウの心は私から離れて、彼女の方へ向いてしまうのではないか――と。
 ずっと私は無意識の内に危惧していたのだと思います。

 そんな私の胸の内を知ってか知らずか。
 凛は戸惑う事など微塵も無く、その言葉を口にしたのです。


「私は――遠坂凛は、衛宮士郎の事が好きなの。
 ううん、好きじゃ足りない。
 士郎の頭のてっぺんの髪の先から足のつま先まで、全部自分のモノにしたい。
 四六時中、士郎の視界に私以外の女を映したくない。
 そして、将来――たとえ何年掛かってでも衛宮士郎の名を遠坂士郎に変えさせてみせるわ」


 それは――彼女にとっては痛快極まりない宣言だった事でしょう。
 事実、言い終えた彼女は、一層に清々しさを面持ちに滲ませています。
 けれど、私にとっては死刑宣告を受けたように感じるぐらい痛烈なものでありました。

 迷う事無く凛はシロウの事を好きだと宣言し――更には婚姻の関係にまで結んでみせると主張している訳で。
 魔術師たる基本的なスタンスのように冷酷な一面を取り繕う凛ですが、その本質は実に優しい人柄である事を私は知っています。
 精神的に私を追い詰める為だけならば、“将来、彼の子供を産んでみせる”――などと付け加える事もできた筈です。
 けれど、その言葉はあえて避けたのでしょう。
 いかにシロウの事を愛していても、彼の子を身篭る事など決して出来ない私のために。

 私に対して配慮しつつも、彼の事を心から愛していて――そして欲している事を示す為に、言葉を選びつつ、シロウの配偶者になってみせると主張したのでしょう。

 ぎりぎりに線引きをして選んだのであろうその言葉も、私にとっては充分過ぎる程に痛みを覚えるものでした。

 シロウの妻となる事――それはサーヴァントに過ぎない私にとっては、どんなに願っても適わぬ夢なのですから。
 それどころか、どんなにシロウを慕い続けても、彼と同じ歳を重ねていく事は出来ないのです。
 いずれシロウも成人を迎え立派な大人となり、様々な経験を積みながら壮年期となり、そしていつかは大木が年輪を重ねるように年老いていく事でしょう。
 けれど、私は――。
 シロウが50才になっても、60才になっても、私はこの少女の身体のままなのですから……。


「ちょっとセイバー! ちゃんと聞いてるの?!」


 無意識の内に私は俯いていたようです。
 凛の荒げたその声に、私はおずおずと顔を上げました。
 まだ彼女はこの上私を追い詰めようと言うのでしょうか。

 ――いえ、凛を悪く言うのは筋違いでしょう。
 彼女は自分の気持ちをありのままに述べているだけですし――その結果、私は避けていた現実を直視する事になっただけなのですから。

 そんな私に――凛は、どこか困ったような苦笑いを浮かべながら、それでいて視線だけは真っ直ぐに私を見つめたまま口を開きました。


「セイバー……あなた大きな勘違いをしているみたいだから付け加えておくけど、士郎を巡るこの戦いにおいて、圧倒的に有利な立場に居るのは他でもないあなたなのよ」


「凛しかし、私は……」


「うるさい。 黙って聞きなさい、このおたんこなす。
 いい? あなたのマスターの衛宮士郎という男はね、頑固で唐変木で鈍感で――乙女心に疎い困った奴だけど、魔力の補給とかなんとか大義名分があったとしても、好きでもない女の子を絶対に抱いたりしないし、簡単に他の女のアプローチに乗せられて鞍替えしちゃうような男じゃない。

 それからね――セイバー、あなたは最も肝心な事を忘れているわ。
 士郎はあなたの事を只のサーヴァントとして扱った事が一度でもあったかしら?」


「そ、それは――」


「あまりの頑固ぶりに最初は敵同士の立場にあった私でさえ頭痛を感じたぐらい、士郎はあなたの事をひとりの女の子として扱っていたわよね?
 あの狂暴極まりないバーサーカーと相対した時だってそうだった。
 並みの男なら――腰を抜かすか、逃げ惑うか、僅かでも冷静な判断の出来る奴なら、サーヴァントであるあなたを我が身の盾にする所なのに、あのバカはよりによって自分の身体を盾にしてあなたを守ろうとしたわ」


 ――そうでした。
 シロウはそういう人です。
 凛が言う通り――本当に困ってしまうぐらい頑固者で――そして出会った時からずっと私をひとりの女の子として扱ってくれた唯ひとりの人でした。


「ようやく判ったみたいね。
 ううん、思い出したと言うべきかしら。
 あともう一言付け加えておくけど、士郎は法律上の婚姻関係なんて気にも留めないと思うわ。
 士郎が大人になって――そしてセイバーを妻にしたいと言って、あなたがそれを受け入れれば、他人が何と言おうとも、それは立派な夫婦じゃないの。
 死が互いを分かつまで共に生きて行こうという誓いに比べれば、たかが紙切れに過ぎない婚姻の証なんて何の価値もないわ」


 そう言い終えた頃には――凛は優しい目で私を見つめていました。
 まるで出来の悪い妹を諭すかのような――そんな肉親の情に近い温かさを感じる事が出来たのです。


「ありがとうございます――凛。
 あなたの言うように、私は大事なことを失念していました」


「判ればいいのよ。
 そして胸を張って、どーんと余裕たっぷりに勝ち誇った顔して構えていればいいの。
 何と言ったって、現時点で士郎の恋人はあなたなんですからね」


「――はい」


 私は大きな勘違いをもうひとつしていたようです。
 凛が優しい一面を有している事は判っていましたが、その一方で基本的には傍若無人で計算高く、そして意地悪な性格を有していると思っていましたが――それは大きな誤りでした。

 相手の気持ちを慮る事の出来る情深い一面こそが彼女の本質なのでしょう。はい。


「でも、それはあくまでも“現時点では〜”というコトであって、将来は間違いなくシロウのパートナーとしての立場は、この私が頂いちゃう事になるんだけれどね」


「む。 今、なんと言いましたか、凛。
 希望的観測を思い浮かべる事を止めはしませんが、そのような根拠の無い戯言を口にする事は、些か問題があると思います。
 現時点においても、そしてこれからも、命尽きるその日までシロウのパートナーはこの私なのですから」


「さあ、それはどうかしらね。
 人の心は移り易いものよ。
 セイバー、あなた今の内から敗者の弁を考えておいた方が賢明よ」


「生憎ですが、先程貴女が述べたようにシロウは身の固い人ですから。
 他の女性に移り気するような事など決してありません」


 先程まで落胆していた事が嘘のように――今の私の心は晴れ晴れとしています。
 それどころか彼女とのこんなやりとりを楽しいとさえ感じているのです。
 どうやら私は自分で考えていた以上に感情の起伏が激しいのかもしれません。


「そこまで言えれば上等ね。
 恋敵として相手に不足はないわ。
 経過よりも結果を最優先すべき魔術師としては適切なスタンスじゃないと思うんだけど――正々堂々、勝負しましょ」


 そう言うと凛はすっと右手を私の目の前に差し出してきました。
 それは万国共通の親愛と和解のしるし――握手です。
 もっとも、これから私と彼女は、ある意味では親愛や和解と言ったものからは縁遠い関係になるのでしょうが――その一方では良き友人同士でありたいものです。

 その意を示すように私も手を差し出して彼女の手を握りました。


「望む所です。
 騎士道精神に従って正面から戦いましょう」


 ええ、例えそれがどんなに苦難に満ちた戦いとなったとしても、私は負けません。

 シロウの愛情は私のものです。
 シロウの卓越した手料理も私のものです。
 そしてシロウの逞しい――――ごほん。えっとその。
 あまり直接的な表現は避けるべきでしょうね。はい。


「さて――これで私とセイバーはライバル同士になった訳だけど、あなた達はどうするの?
 と・く・に。
 隅っこの方で眠ってしまっている衛宮くんを必要以上に抱き締め続けている間桐桜さん。
 あなたは黙って指を咥えたまま傍観者に徹するつもり?
 それとも、私のようにセイバーに宣戦布告をしてみる?」


 む。そう言えば、あれからずっと桜はシロウを抱き締め続けていたという事でしょうか。
 油断大敵とはこの事でしょう。
 今後は常にマスターの身を案じておかなければなりません。

 しかし、今はその事に言及するよりも、凛の問いかけに桜がどう答えるのか――とても気になります。
 彼女は私や凛よりもシロウとの付き合いが長い。
 シロウの方は彼女の事を妹のような感覚で接しているようですが、桜が彼の事をどう思っているのか――おそらくは異性として意識している事でしょう。
 時折、シロウを見つめるその視線に熱を帯びたものを感じていますから。
 この家で彼女のその視線の意味に気付いていないのは、やはり当の本人のシロウだけなのでしょう。


「遠坂先輩――でも、私は」


「デモもストライキもないわ。
 間桐さん――いいえ、桜。
 良い機会だから、はっきりと言っておきましょう。

 あなたの姉として忠告しておくわ。
 士郎の事が好きなら、きちんとその事を主張しなさい。
 そしてセイバーや私を押し退けて士郎のハートを奪い取って見せるぐらいの気概を示しなさい」


 呆然と私がその彼女の言葉を耳にしている間にも、半ば説得するような凛の主張が続いています。

 それにしても――驚きました。
 まさか、桜が凛の妹だったとは――。
 もっとも驚いた顔をしているのは私ひとりです。
 イリヤスフィールはその事をお見通しだったかのように、涼しい顔で押し黙ったまま見守っています。

 そんな中――俯き気味に押し黙ったまま凛の主張を聞いていた桜なのですが――どこか翳りのある面持ちを覗かせながら、それでも懸命に取り繕うような微笑を浮かべてようやく口を開くと、ぽつりと呟いたのです。


「そうですね――私も――頑張ってみます」


 桜は何か重い定めを背負っているのでしょうか?
 彼女と付き合いの長いシロウならば何かを知っているのかもしれませんが――しかし、その事を詮索すべきではないでしょう。
 人は誰しも、その程度の差こそあれ、何かを背負って生きているものです。

 桜が背負った定めはとても重いものなのかもしれませんが、心優しく、健気で、そしてその芯はしっかりしている彼女の事です。
 どのような試練が待ち構えていたとしても、きっとそれらを乗り越えていく事でしょう。

 ――それはともかくも。
 その豊かな胸に抱き締めているシロウの身体を更にひしと引き寄せている桜をこのまま放置すべきではありませんね。
 もっとも、私が苦言を呈する必要は無いようです。

 桜の返事をしんみりとしつつ聞いていた凛ですが、ふと我に返り、シロウが置かれている状況を思い出したのでしょう。
 目を三角にしながら彼女の方へとにじり寄り、強引にシロウを抱き起こそうと手を伸ばしています。


「ちょっと、桜っ!
 あんた、いつまでこれ見よがしに士郎を抱き締めてんの!
 ほら、早く離しなさいっ!」


「嫌です。
 だって、先輩の方から私に抱きついてきたんですよ。
 私に拒否権はありませんから」


「な、なに言ってるの!
 士郎はあんたに抱きついたんじゃなくって、意識を失って倒れただけでしょ」


 シロウが意識を失ってしまったその原因を作ったのは誰なのかと追究したい所ですが――どうやら機を逸してしまったようです。
 凛と桜――2人が血を分けた姉妹である証を示すかのように、激しい論戦が続いてしまっています。

 どこか憂えの残る表情を見せていた桜ですが、凛と言い争っている内に自然な笑顔を覗かせるようになってきました。
 ひょっとしたら凛の狙いは、私に宣戦布告をするだけでなく、桜を元気付ける事もその目的だったのかもしれませんね。

 シロウの言う所の“あかいあくま”の彼女は、計算高くも、やはり心優しい人だと言う事でしょう。
 そして、彼女の妹である桜もまた強敵です。
 私達の中では、最も女性的な魅力を感じさせる肢体を有していますし――何と言っても、シロウとの付き合いは一番長いのですから。

 2人とも強敵です。
 決して油断はできませんね。はい。


 思えばかつての私は常に孤独でした。
 また、その境遇に違和感を持っていませんでした。
 守るべきものは国であり、民であり――雌雄を決する一騎打ちの戦いに臨む時も私情など相容れる事など微塵も無く。
 常に達観した王としての視点で物事を判断しなければならない立場にあり、自然と周囲から人を遠ざけるようにしていました。
 結果――友と呼べる者などなく、形式的な妻を持つ事はあったものの、誰かを愛するという事もなく。

 孤独な環境に長い間身を置き続けてきた為に気付く事が出来ませんでしたが、私は人の持つ温かさに飢えていたのかもしれません。
 温かいシロウの愛情に包まれ、そして好敵手ともと呼べる相手の優しさに触れて、その喜びに浸っている自分自身を気付かされました。

 こんなにも幸せな境遇の中に居るのです。
 シロウの戸籍上の配偶者になれないとしても――また、彼の子を授かる事が出来ないとしても、それをいつまでも苦にしていてはいけないという事でしょう。


「ねえ、セイバー」


「なんですか、イリヤスフィール?」


 私に対する凛の宣戦布告。
 そして、シロウを巡る凛と桜の論争を静かに見守っていたイリヤスフィールが突然話しかけてきました。
 その彼女の表情は至って真顔で。
 時折見せるからかうような物言いをするつもりでは無いようですが――。


「英霊であるセイバーにこんな質問をするのも変だとは思うけど――あなた、どこか体調が悪かったりしてる?」


「いえ――特に具合の悪い所はありません。
 すこぶる食欲もありますし、むしろ体調は良い状態だと思いますが」


 背後で「食欲旺盛なのはいつもの事じゃない」――と、凛が何やら指摘していますが、とりあえず放置しておきましょう。
 今はイリヤスフィールの発言の意図の方が気になります。


「それなら――あなたの内股を伝って滴っているソレは何?」


「は?」


 イリヤスフィールが指差している辺りの――自分自身の内股に視線を向けてみたのですが。
 まさか。
 まさか、これは、その。


「え? あ? そんな―― ?!」


 私の内股を伝って落ちていく一条の赤い滴り。
 それは間違いなく私の――血。

 それは――“人”として、そして“女”として、生命をその身に宿す術を与り受けたという証。
 かつて、“人”であり、王であったあの頃は、月の定めの到来を忌み嫌い、疎ましいと考えていたもの。


「まさか――嘘でしょ?」


 呆然と――その私の様子を見ていた凛がようやくそう呟いたのは、それから数分の時間を要してからでした。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「なあ、なんで今日のお昼は赤飯なんだ?」


 あれからずっと眠り続けてしまったシロウが目覚めた頃には、既に時計の針は正午を回っていました。
 その為に今日のお昼ご飯は凛と桜が準備してくれたのですが――いつもの白いご飯と異なり、僅かに赤みを帯びたものです。
 小豆と一緒にもち米を用いて蒸したものらしいのですが――凛に尋ねた所、日本では慶事の際に食されるものらしいのです。


「うるさいわね、男はつべこべ言わずに出されたものを黙って食べればいいの!」


 ――と、怒っているような、それでいて喜んでくれているような、微妙な面持ちを浮かべている凛のそんな一声に、シロウは途端に首をすくめます。

 そしてシロウには聞こえないように、半ば耳打ちするように小声で「良かったですね、セイバーさん」と声を掛けてくれた桜。
 もっとも、その後に「でも、負けませんからね、私」と、しっかり付け加えていましたが。

 ありがとうございます――と返しておいて。
 そして、望む所です――と付け加えて。
 私は自然と満ち足りた笑みを浮かべる事が出来たのです。


 そんな私に――イリヤスフィールが意味深な流し目を向けながら話しかけてきました。


「ねえ、セイバー。
 あなた、どんな魔法を使ったの?」


 そんな彼女の問いかけに私は僅かに考え込みました。
 確かに英霊であるこの身が、新たな生命を宿す事など常識では考えられません。
 勿論、本当に身篭る事が出来るのかどうか、今の段階では判りませんが、愛するシロウの子を宿す事のできる可能性があると言う事は間違いないのでしょう。

 英霊が人の子を産む。
 そんな奇跡が起こるのなら、それはイリヤスフィールの言う通り、魔法のレベルの域に達している事象と言えるのでしょう。
 凛は、聖杯を破壊した際にその魔力を身に受けた時の影響か、私専用の聖杯と化したアヴァロンが、私の願いを叶える為に発動したのか――などと推論を上げていましたが、勿論その本当の原因が特定できる筈はありません。

 確かに何事も原因が無ければ結果は生み出されません。
 けれど、私にとっては、今回に限って言えばその結果だけが全てであり、原因を追究しようという気持ちはありません。

 しいて言葉にするならば。
 やはり、こう告げるべきでしょうか。


「私は何もしていません。
 けれど、もしもそれが魔法だと言うのなら――その魔法を私にかけてくれたのはシロウでしょうね」


「へ? 俺? なんでさ?」


 ひとり事情の判らないシロウは、しきりに首を傾げています。
 鈍感な彼の事です。
 私の身体に起きた“変化”に気付くのは、もう暫く先の事でしょう。

 どの道、まだ早すぎるのです。
 シロウが成人し、立派に独り立ちをして――そして生まれてくる我が子を守り、養育できる年齢になる頃までに気付いてくれれば良いのですから。

 そして、その頃を迎える前に――私はこの戦いに勝利して見せますとも。

 私の事も忘れないでよ――と、イリヤスフィールが手を上げています。
 ええ、判っています。貴女の事も。
 凛、桜、そしてイリヤスフィール。
 私の周りは、強くて頼もしくて、そして心優しい好敵手ともばかりですね。

 決して油断など出来ません。
 全身全霊を注いで立ち向かうのみです。



 初めて迎えたこの国での春。
 私は、生涯において、二度目の初潮を迎えたのでした。





- つづく -


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