『あかいあくまの新たな戦い』 
〜その2〜

by イイペーコー



 高い発熱の為だろう――頭がぼんやりとしてしまって、いつものように理路整然とした思考を巡らす事が出来ないみたい。
 風邪を拗らせるといつも肩が凝ってしまうのはいつもの事で――寝返りをうつ度に肩や首を回してみるものの、殆ど効果は感じられず何度もため息を漏らしてしまう。

 そんな中、ふと視線がある物に留まる。
 それは、ベッドの脇に置かれた円筒状の屑篭。
 その中には、出しても出してもなかなか治まらない鼻水をかんだティッシュの残骸が無残にも堆く盛り上がるように捨てられている。
 そんな風に丸められたティッシュの山を見て、これが士郎との濃密な一夜の名残であれば、また違った趣があったのかもしれない――と思い巡らせてしまった。

 他人にはとても言えない――そんな妄想めいた想像を浮かべてしまった事に苦笑いを浮かべつつ、なかなか戻ってこないあいつの姿を重ねるように部屋の入口の扉を見つめてしまう。

 きっと今、あいつは――そう衛宮士郎は、隣の客間で桜の看病をしている筈だ。
 よりによって、私と同じタイミングで風邪を引いてしまうなんて――ね。
 しかも、風邪を拗らせた原因まで同じ――もう、これは笑うしかない。
 幼い頃から離れ離れで育った私達だけれど、こんな所でも共通項があったりして、やはり同じ血が流れている姉妹なのだと実感してしまう。

 もっと他にも共通項があって、その別の事で姉妹である認識を深められれば良いのだろうけれど、結局のところ私と桜が似通っていると感じてしまうのは、いつも士郎絡みの事だ。

 世の中には男と女しかいない訳で、世界の総人口は約65億らしいから恐らくは30億強の男性が存在していると言うのに。
 何が悲しくて姉と妹が揃って同じ男に惚れなければならないのだろうか。

 しかも――その惚れた男には、他にれっきとした恋人が存在している。
 つまりは姉妹揃って横恋慕している訳で。
 ますますこれは笑うしかない状況なのだろう。

 風邪を拗らせているから、こんな事ばかり思い巡らせてしまうのだろうか。
 これはまさに熱病――なのかも。

 衛宮士郎という病原体に感染してしまった熱病。
 特効薬なんて存在しない。

 私はこの熱病と一生付き合っていく事になるのだろうか。

 その気になれば、士郎ではない他のもっと良い男を捕まえる事ぐらい、そんなに難しい事ではないと思う。
 私だって、桜だって。
 これからの長い人生の中で、幾らでも異性と出会う機会はあるのだろうけれど――それが確固たる決まり事であるかのように、あいつへの想いが冷めてしまう事はないのだろう。

 まったくもう、さっきからこんな思考ばかり。
 不健康極まりないなぁ。

 士郎病ねつびょうに対する特効薬は無いけれど、とりあえずこのモヤモヤと鬱屈した気分を取り払う特効薬は存在している。

 その特効薬を補充して、せめて気分だけは晴れ晴れとしたい所。
 だからその、早く帰ってこないかなぁ――衛宮士郎とっこうやく

 普段はどこか控えめの桜だけど、折角の機会だからとばかりに士郎に甘えているのかもしれない。
 甲斐甲斐しく世話をしてくれる士郎の手に頬を擦り寄せたり、お粥を食べさせて貰ったり――とか。
 まさかとは思うけれど、汗を掻いたパジャマや下着の着替えまで士郎に手伝わせたりしていないでしょうね?

 むむむ。気になるなぁ。
 ――で、一方、比較的不得手の少ない私だけれど、こと“甘える”という行動原理においては、大の苦手。
 せめて私も病気の時ぐらい素直になれるといいのだろうけれど。
 つい、士郎の前だと強がって見せちゃうのよね。
 さっきだって、私の事はいいから早く桜の所に行きなさい――なんてコトを言っちゃったし。

 本当はもっと傍に居て欲しい――という純な乙女の秘めた切なる想いに気付いて欲しくて。
 ――と言うか、気付けってば。


「ふん。士郎のバカ――」


 自分でも理不尽だと分かる物言いを口にしつつ、私は未だ開かない扉を睨みつけ――そして深い溜め息をひとつ漏らして。
 そのままぼんやりと窓の方へと視線を向けた。

 薄いレースカーテン越しに覗かせる外の景色――と言ってもベッドに横になっているこの体勢では空しか見えないけれど、それでも気晴らしぐらいにはなる。
 台風一過ならば普通は雲ひとつない晴天の筈なのだろうけれど、今日は気象予報士の予想に反して鉛色の曇天で――遂に泣き出してしまったのだろう、30分ぐらい前から僅かに雨音が聞こえてくる。


「なんだか、私の今の気持ちを代弁しているかのような天気よね」


 病は人を弱気にさせる。
 日頃はどんなに不利な状況下に身を置いたとしても、絶対に負けないという強い信念を持っている私なのに。
 あの熾烈を極めた聖杯戦争の中で、その戦い半ばでアーチャーを失ってからも、決して挫ける事無く戦い抜いた私なのに。

 きっと、風邪を拗らせた為なのだろう――今は幾ら抑えようとしても不安な気持ちが顔を覗かせてしまう。

 私の傍に士郎が居てくれないのは、本当は私の事が嫌いだから。
 それでも渋々面倒を看てくれるのは、背中を預け合った戦友だからなのだろう。
 もっとも、渋々面倒を看てくれているのだろうと思っているのは私の一方的な先入観で、傍目に士郎の表情を窺うと不機嫌そうな様子は微塵も感じられない。

 心優しいあいつの事だから、不満の意の溜め息を漏らす事も無く、笑顔を覗かせて手厚い看病をしてくれているのだろう。

 その温かさをいつの日か独り占めしてみせる――と誓った私なのだけれど、今はその目標がとてつもなく高いハードルのように感じてしまう。
 いつか見たあの光景――茜色の夕日を浴びながら、決して越える事の出来ないバーに向かって走り高跳びの練習を繰り返していた彼の姿が脳裏に過ぎる。

 私には――無理だ。
 届かないと分かり切っている目標を目指し続ける事なんて。
 どこかで理想よりも打算的な思考が上回って、より確実な方法を――可能な限りの範囲内で、より安全で確かな選択肢を選ぼうとしてしまう。

 私には、士郎のように唯ひた向きに前へと進む事なんて向いてないのだろう。
 そう考えれば、ある意味、セイバーは士郎と良く似ている。

 聖杯戦争の真っ只中にあった時も、そして穏やかな日常に埋没している今も――基本的にセイバーのスタンスは変わらない。
 ただひとえに士郎の為に――彼女が公言して憚らない“シロウの剣となり盾となる”――という言葉通りにセイバーの判断基準や優先順位は士郎を中心にして決められている。

 純粋な程に、一途――と言えるのだろう。
 そして似た者同士、やはり惹かれ合うという事なのだろうか。

 そんな思考が堂々巡り。
 弱気になっていると言うべきか、マイナス思考になっていると言うべきか。
 やはり、病は気から。
 そして病が恋という名の熱病を失わせてしまうのか。

 どんなにか自分自身が士郎と相反する性格であり、一方、恋敵セイバーの方は士郎と相性がこの上ない程に良いと考えてしまう。

 もう、諦めてしまおうか。
 どの道、固い絆で結ばれている士郎とセイバーの間に割って入る事なんて無理なのだろうし。

 けれど――せめて、最後にもう一度だけ。
 そう、もう一度だけでいいから――。

 段々と意識が朦朧となっていく。
 ぼんやりとして――重くなった瞼を留めようとはせず、私はそこで思考を止めたのだった。

 最後にもう一度だけ――士郎とキスをしたい。
 意識が途切れる前に――そんな願いを思い浮かべたような――そんな気がした。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 なんだろう――暖かい温もりに包まれている。
 風邪を拗らせている筈なのに寒気や頭痛も無ければ独特の気怠さも感じていない。
 まるで揺籃の中に居るかのような心地良さ。

 目を開けたなら――そんな楽園が音をたてて崩れ去ってしまいそうな予感があって、私は躊躇してしまう。

 けれど、一方では早く目を開けて確かめたいという気持ちもある。
 私は素肌で何かに包まれているのだ。
 その感覚を全身で味わっていて――この上ない満ち足りた喜びを感じているのだと思う。

 そんな喜びを私に与えてくれているモノは一体何?
 心地良い微温湯に浸っているかのような感覚を私に与えてくれているモノは――いや、与えてくれている人は一体誰?

 失ってしまうという恐れよりも、早く知りたいという好奇心が打ち勝って、私はゆっくりと閉じていた瞼を開けたのだった。

 すると――その私の瞳に映ったのは。


『目が覚めたのかい? 凛』


 はい?
 イマ、ナントオッシャイマシタ?

 見間違えてないのなら――私の目の前の男性は衛宮士郎そのヒトだと思うのだけれど。
 定規一本分も離れていない至近距離で、にこやかな笑みを浮かべつつ、じーっと熱い視線を私に注いでくれちゃっている士郎。
 それはもう、この状態を見間違う筈もないワケで。

 おまけにその――私ってば、士郎に腕枕をして貰っている真っ最中の模様っ。
 ええと、勿論、気持ち良かったりします。

 し、しかもっ!
 驚いちゃいけない、何故か今の私ってば素っ裸みたいなんですけどっ!
 薄い白地のシーツに包まっているから大事な所は守秘義務を遵守出来ているみたいだけど、私に腕枕をしてくれている士郎もその――どうやら生まれたままの姿みたいで。
 つまり、要約すると――私と士郎はベッドの上で互いに一糸纏わぬ姿で身を寄せ合っている状態(注.腕枕付きっ)にあるようです。

 ええ、繰り返しましょう。
 し、しかも、先程、コイツってば何とノタマッテマシタ?

“目が覚めたのかい――凛”ですって!?

 いかにも恋人同士の甘い語らいの中の一フレーズのように慣れ親しんだ口調の“目が覚めたのかい”の言葉が耳に届いた瞬間にきっかりコンマ3秒ぐらいで激しく動揺してしまった私なのだけれど――その後に“凛”ですって?

 それはもう、必要経費の名の下に研究用の宝石を大量購入し過ぎたあげく、逆さに振っても中身が出てくる筈も無い私の財布よりも、遥かに出てくる可能性の低い固有名詞が士郎の口から零れてきたものだから、元から風邪の為に熱が高くなっているのに、更にプラス1℃ぐらい体温が急上昇してしまったような感覚に苛まれてしまったのだった。


『普段も勿論可愛いけれど――凛は寝顔も可愛いね』


 は、はぁー!?
 な、なんですと?!

 こ、コイツは絶対に衛宮士郎なんかぢゃないっ。
 朴念仁の士郎に限って、たとえ百叩きの刑に処したりして、どんなに口を割らせようとしたって、こんな歯の浮くようなセリフを言えるような奴じゃない。

 ひょっとして今流行りの士郎モドキの餡入りのマユとか言う奴?
 いやいや、アレは全く別の話だし、そもそもソッチとも性格が違うっぽいし!

 しかも、アレだ。
 この置かれている状況は、いかにも恋人同士の蜜月な情事の後としか思えないワケで。
 勿論、私と士郎はそんな関係ぢゃない――今の所は、だけど。

 従ってコレは現実じゃない。
 そもそも聖杯戦争が終わってからは、恋人のセイバーに対しても手を出していない(と思われる)あのカタブツが浮気めいた行動に移せる筈もない。

 つまりは――。


「――夢って事ね」


 こんなにもリアルで妄想指数100%超の夢を見てしまって良いものかどうか、倫理上問題はあるわよね。
 欲求不満気味だったのかしら、私。


『夢か――そうだな。
 ずっと憧れていた凛とこんな関係になれたなんて、俺にとってはまさに夢と言えるだろう』


 ええい、まだ言うか、コイツは。
 コレが夢でなかったら、ガントの零距離射撃をダース単位でお見舞いしてあげる所なのだけど。
 夢とはいえ、折角士郎とこんな関係に及ぶ事が出来た訳なのだし、私にとって都合の良いこの一時の時間を堪能させて貰うべきだろうか。

 今なら士郎に甘えたい放題。
 どんな我が侭だって聞いてくれるだろう。

 今からもう一戦――なんてハシタナイ要求は流石に×。
 そもそも体験した事のない行為なのだから、想像する事は不可能なワケで。
 想像できない事を夢の中で再現する事なんて絶対に出来ないだろうし――それにそういう事は、やっぱり現実の世界で実体験すべき事だろうから。

 と、とりあえず、頬を擦り寄せてみようかな。
 意外と広くて厚い士郎の胸板へと身体ごとにじり寄って頬をぺたりと付けてみた。
 はう、夢の筈なのに、なんだか心地良い肌触り。
 そのまますりすりと頬を彼の胸板に擦り付けていると、士郎ってば手の平で優しく私の髪を撫でてくれた。

 ああ、今ならご主人様に撫でられて目を細めて喜んでいる子犬や子猫の気持ちが判ってしまうかも。
 何て言うかその――至福の一時。

 さあ、こうなったら、私が想像出来る範囲で、もっとも踏み込んだ行為にコトを及ぶべきかしら。

 そうなるとやっぱり、その――あの時を否応無く思い出してしまう。
 あのアインツベルンの城を囲む深い森の中にあった廃屋。
 あそこで士郎とセイバーは深く結ばれた。

 けれど、その直前に。
 今にして思えば、せめて士郎のファーストキスだけは私のものにしたいと無意識の内に願ったのかもしれない。
 初々しい仕草を覗かせて落ち着かない様子の士郎の不意を衝いて、私は士郎の唇を奪った。

 ムードも何もあったものじゃない。
 ただ唇を重ねただけの行為。
 それは士郎とセイバーが恙無く性交できるようにと、2人の気分を高めるために注いだ潤滑油のようなもの。

 しかし、今となってはあの時に士郎と重ねた唇の温もりが、何物にも換え難い大切な思い出になっている。

 遠坂凛はファーストキスを衛宮士郎に捧げ、衛宮士郎のファーストキスもこの遠坂凛のものとなった。
 それは未来永劫に渡って、決して塗り替えられる事のない事実なのだから。

 その僅かな名残を確かめるように私は人差し指の先を唇に添えてみた。
 ならばその感触をはっきりと思い出す為に――その、き、キスを求めちゃったりしてもいいのかもしれない。

 うん――だって、コレって、私の夢の中なんだもの。
 誰が何て言おうとも、私の夢の中では、遠坂凛が唯一人のヒロインなんだから。

 ――と、言うワケで。


「あの――ね、士郎」


「ん――どうした、遠坂?」


 あれ? さっきまでコイツってば、私の事を“凛”って呼んでいたような気がするんだけど。
 まあ、元々夢の中の話なんだし、あまり細かい所に拘っても仕方ないわよね。
 落ち着いて、落ち着いて。
 深呼吸、深呼吸。
 さりげなく、いつも重ねている行為のひとつのように、さらりと――言ってみた。


「ね、士郎――キスして」


 すると――さっきまでは糖度120%ぐらいに甘い台詞を迷う事無く口にしていた士郎が、途端に口篭った。
 なんだか躊躇しているみたい。

 どうして?
 現実の世界の私達ならともかく、コッチの中では既に何度も肌を重ね合っている(と思われる)関係みたいなのに。
 なぜ、キスぐらいでそんなに戸惑ってしまうの?

 どれぐらいの間が流れた事だろう。

 キスをして――と恥ずかしい物言いをした後だもの。
 流石に私もこの沈黙の間は居心地が悪い。
 きっと私の頬は真っ赤に染まっている事だろう。
 そろそろ抗議の声を上げようかと思ったその時だった。

 無言のままではあったけれど――士郎が動いた。

 ゆっくり、ゆっくりと士郎の顔が間近に迫ってくる。
 もう互いの息を感じ取れる程まで近付いて、私はそっと瞼を閉じた。

 前回のファーストキスの時は、強引に私の方から奪ってしまったようなものだし――今度は士郎の方からして貰いたいし。

 このまま、さして間を置かずに唇に温もりを感じる筈。
 その瞬間を私は今か今かと待ち望んだ――のだけれど。


 ぴたっ――って。


 ええ、肌と肌が重なりましたよ。
 間違いなく。

 けれど、それは唇と唇ではなくて、おでことおでこ。
 士郎の肌の温もりは確かに感じ取る事ができたけれど、きっとそれ以上に私の方が熱っぽかった筈。


「む。やっぱり、まだ熱が高いな」


 そう呟きながら士郎は重ねていた額と額を離して、ゆっくりと身体を起こして見せた。
 ――で、ゆっくりと瞼を開けた私の目に映ったのは、心配そうに――そしてどこか困ったような表情で私を見つめている士郎の姿だった。
 いつの間にかベッド脇に下りていて、しかも服を着ちゃっている。

 せめて、この時点で気が付くべきだった――。
 私の固有結界ゆめは既に覚めてしまっているという事に。
 冷静になれば気付く事が出来た筈なのだ。
 だって、先程まで生まれたままの姿だった筈の私も、しっかりとパジャマを着込んでいたのだから。

 それなのに私は相も変わらず当社比400%増量ぐらいの甘い猫撫で声で言ってしまったのだった。


「ねえ、士郎――早く、キスぅぅ」


 思わず両の手を伸ばして士郎の首に絡ませて、強引に抱き寄せた。
 再び、士郎の顔が接近中。
 もう一度、そのまま瞼を閉じよう思った私の目前で、林檎の様に頬を真っ赤に染めあげた士郎が慌てて口を開いたのだった。


「ま、待てっ! 遠坂っ、ちょっと落ち着けっ!
 寝惚けてないで、ちゃんと起きてくれっ!」


「ナニ、言ってんのよ。
 私の夢の中の登場人物の分際で、私に反論するつもり?」


「夢じゃないっ!
 いい加減、目を覚ませってば、遠坂っ!」


 え――?
 夢じゃ、ない?

 士郎の首に絡ませていた手を放して、そのまま彼の両方の頬をその両の手の親指と人差し指で捕らえて。
 そして――ぎゅっと加減無く思いっきり抓ってみた。


「いってーっ! ちょ、ちょっと遠坂、痛いってば!」


「い、痛いの?
 ――という事は、これって夢じゃないの?」


「確認するなら自分の頬を抓るべきだろー!」


 そんな抗議の声もとりあえずは耳に入らない。
 ええと、これが夢ではなく現実だと言う事は。


 “ネ、シロウ――きすシテ”


 あううっ。


 “ネエ、シロウ――ハヤク、きすゥゥ”


 はううっ。


 深呼吸をひとつ。
 そう、まずは冷静にならなくては。
 一体、どこまでが夢で、どこからが目が覚めてからの会話だったのか確認するべきよね。
 ひょっとしたら、肝心な所は全部夢の中で言った事かもしれないし。

 それはもう希望的観測の領域に大きく足を踏み込んでいる事は判っているけれど、もしかしたら、士郎が聞き逃したという可能性もあるし――。


「なあ、遠坂――どうやら起こしてしまったみたいで悪いとは思っているけどさ。
 とりあえず、寝起き早々にキスを求めるのは、彼氏を見つけてからにした方が――」


 ええ、勿論、皆まで言わせませんでしたとも。
 コークスクリューを利かせた黄金の右フックが宙を切り、ドアの付近まで殴り飛ばされた士郎は、まるで唯の屍のようでした。はい。

 何と言っても士郎が悪いんだから。
 だって、無垢な乙女の寝顔を見ていただけでなく――“彼氏を見つけてからにした方が”――なんて暴言を口にしたんだもの。

 自分自身が遠坂凛の彼氏の最有力の筆頭候補であるという認識が全く無いような発言を平気で口にしたのだから、天罰を受けたとしても仕方ないわよねぇ、うん。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 それから士郎が意識を取り戻したのは数分後の事で――流石に私もちょっとその間は心配だった。
 このまま士郎が目覚めなかったら、どうしようか――と。

 病み上がりの私に――いや、まだ現在進行形で病人かな?
 とりあえず、身体の具合の悪い私に膝枕までさせて、ようやく目を覚ました士郎が開口一番に何を言ったかというと。


「ええと、もうこんな時間か。
 そろそろ、桜の方に行かなきゃなぁ」


「はぁ? あんた、ナニ言ってるのよ。
 ついさっきまで、ずーっと桜の部屋に行っていて看病してたじゃない。
 ちょっと不公平じゃないの?」


「何言ってるの――って言われてもなぁ。
 さっき遠坂が起きるまでの2時間ぐらい、ずっと遠坂の傍に居て、額を冷やす濡れタオルを交換したりして看病してたんだぞ。
 だから、今度は桜の方をだな――」


「そんなの私が起きてなかったら意味ないじゃない。
 言うまでも無く、そんなのノーカウントよっ。
 ――って、それよりも。
 士郎、あんた私が寝ているのをいい事に乙女の寝顔を2時間もかぶりつきで見ていたと言うワケ?!」


 あげくには折角いい所だったのに、邪魔するなんてっ。
 でも、流石にその事は言わないでおいた。
 言える筈もないけどさ――夢の中でのラブシーンを当の本人に邪魔された――なんてね。


「む。 そんな事を言われてもだな、俺は単に遠坂を看病していただけで、そんな邪な考えは持って無かったぞ」


「問答無用よっ!
 貴方も魔術師の端くれなら、罪に対する等価交換の責任もしっかり取りなさいっ!」




 ――という訳で。
 ちょっと理不尽かな――という気持ちはあったものの、只今、士郎に責任を取って貰っている最中で。

 どんな責任の取らせ方をさせているのかと言えば、至って簡単。
 ベッドで横になっている私の傍に居て、ずっと私の手を握らせている。
 建前の理由としては、病人である私の体温計代わりという事で。
 私が眠るまで、ずっとそうしているように命じてあるのだ。

 本当の目的は勿論別にある。
 人がどのようにして夢を見るのか、そのシステムが判る訳はないけれど、何らかの外的な影響を受けている可能性は高いと思う訳で。

 つまりは、しっかりとした“触媒”を準備すれば、特定の夢の続きを見る事も可能なのではないか――と思った次第――なのだけれど。


 迂闊だったわ。
 士郎としっかり手と手を繋いだまま――しかも間近で見つめられたままで、眠る事が出来る訳ないじゃない。


「なあ、遠坂――まだ眠ってくれないのか?」


「うるさいわねっ、もう少し待ちなさいっ」


 どうしよう?
 さっきから胸がどきどきと高鳴っちゃっているし――とても安眠を貪って、夢の続きを見れるような状況じゃない。


 でも――よく考えれば、たとえあの夢の続きを見る事が出来ないとしても、そんなに問題は無いのではないだろうか?
 傍らには私を元気にする特効薬である衛宮士郎が居て、ずっと私の手を握っていてくれているのだから。

 残念ながら、士郎とのセカンドキスはお預けだけれど、それはやっぱり夢の中ではなくて、現実の世界で完遂すべき事だろう。


 こうして――病によってちょっと弱気になっていた私の心は士郎という特効薬を得て、すっかりと完治して見せたのだった。
 きっと風邪の方もこの分なら1日遅れで明日には回復するだろう。
 けれど、こんな恩恵があるのなら、あともう2〜3日ぐらい寝込んでいてもいいかな――と思った私だった。


「士郎――」


「ん? どうした?」


「ふふ、ごめん――なんでもないわ」


 こんな幸せな気持ちにしてくれる士郎にお礼を言っておこうかと思ったのだけど――それはもう少し後にしておこう。

 仲睦まじい夫婦として生涯を共にして、そして天命を全うし――その今わの際に一生分のお礼を纏めて言ってあげるから待っていて。

 ね、士郎――。




 この後、ようやく穏やかに眠る事が出来た私だった。
 生憎、先程と同じ夢を見る事は出来なかったけれど――ずっと眠っている間も、その手に士郎の温かさを感じている事が出来たのは錯覚では無かったと思う。

 この士郎の手の温もりを私のものにする為に、これからも遠坂凛の戦いは続いていくのだろう。

 たとえ相手が、名立たる英雄アーサー王その人だろうが、私と同じ遠坂の血が流れている可愛い妹だろうが、アインツベルンの遺児であり士郎の父親と一方ならぬ絆を有する少女だろうが――そして美辞麗句をどんなに並べ立てても評し足りない程の未だ見ぬ美女が相手になったとしても、絶対に負けるものか!――と、改めて誓った事を最後に付記しておこう。




 ふと、目が覚めて――未だその手に彼の温もりがある事に心から喜びつつ、照れ隠しとばかりに窓の外へと視線を向けると、いつの間にか雨は上がっていて――まるで今の私の気持ちをそのまま表しているかのように、透き通るような青空が広がっていたのだった。





- つづく -


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