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 この作品は『騎士王の新たな戦い』及び『あかいあくまの新たな戦い』と同じ設定です。
 また、ごく一部ではありますが、『Fate/hollow ataraxia』のエピソードを用いている部分があります。
 従いまして、『Fate/hollow ataraxia』を未プレイであり今後プレイされるご予定のある方や、現在プレイ中であり、未だコンプリートが完了しておられない方にはお勧め致しません。
 どうぞご了承下さいませ。



 これはとある少年の女難な日々の一部を書き記したものである。
 この記録を繙く者は、彼の置かれた環境を羨み、そして妬むのであろうか。
 或いは、彼の両肩にずっしりと圧し掛かっているプレッシャーと、延々と続く苦難な日々を健気に耐え抜いていくその境遇に同情の念を込めて溜め息を漏らす事であろうか。
 また或いは、他人の不幸は蜜の味――とばかりに歪んだ笑みを浮かべるのであろうか。

 兎にも角にも、色々な意味で個性的な女性達に魅入られてしまった少年の女難な日々は続いていくのである。




『正義の味方の女難な日々』 
〜その1〜

by イイペーコー




 冬木市深山町――その北側に位置する地域に一軒の屋敷があった。
 今では珍しくなった武家の風韻を踏襲しているような純和風的な造りと言えようか。
 一見すると由緒ある家柄の屋敷なのだろうかと連想させるその大きめの木造建築家屋。
 その広い屋敷には昔から一人の少年が住んでいた。
 元より血は繋がっていなかったものの、彼にとっては唯一人の肉親であった父を若くして失い、以降は淋しい独り暮らしの日々が続いていた。

 その少年の名は衛宮士郎という。

 あくまでも客観的にではあるが、彼はその置かれた境遇を嘆くような様子もなく、また独り暮らしだからと言って、分不相応に派手な振る舞いなどをする事も無い。
 莫大とは決して言えないが亡父の残した遺産により、不自由の無い生活を送る事が出来る環境にありながら、余暇の時間はアルバイトに費やして汗を流し、生活必需品を除けば必要以上の買い物をする事も無く、倹約家の一面も持ち合わせているのだろうと思わせる程に極めて質素な生活を営んでいた。

 同年代の友人も少なく、当時において、ミドルティーンの域から足を踏み出していない年齢でありながら、まるで世捨て人のような生活スタイルを覗かせる彼の事が心配であったのだろう。
 衛宮士郎の後見人である藤村雷画の孫であり、士郎の事を実の弟のように接し続けてきた藤村大河は、毎日のようにこの屋敷の門をくぐり、笑い声の絶えない雰囲気作りに努めてきた。
 もっとも、それは彼女の意識的な演出によるものではなく、その奔放な持ち前の性格をストレートに発揮した結果であった可能性の方が高いと言えよう。

 女三人寄ればかしましい――という諺はあるが、こと衛宮家に関して言えば、藤村大河唯一人でも充分に騒々しい日常であった。
 しかしながら、それでもこの時点では、お世辞にも女っ気があるとは言えない。
 士郎にとって大河は実の血縁関係ではなくとも、まさしく姉同然の存在であり、異性ではなかった。

 従って、この時点においては、そう遠くない将来に訪れる女難の日々など、彼にとっては想像の範疇外を更に遥かに逸脱した未来であっただろう。


 そんな衛宮家に、士郎にとって初めての異性の存在となりうる可能性を秘めた少女が門をくぐったのは、彼が高校生になってからの事である。

 その少女の名は間桐桜。
 士郎にとっては数少ない交友関係の中で友人であった少年の妹であり、士郎が怪我をした事をきっかけにして、家事手伝いをする為に衛宮家を訪れるようになった。
 彼女にしてみれば、数年前に学校のグランドで士郎が繰り返し行っていた高跳びの練習の光景を見かけた時から眩しい存在であった彼と、兄からの紹介によって再会できた事は運命的なもののように感じた事だろう。

 物静かで大人しく、また料理については素人同然に過ぎなかった桜であったが、“通い妻状態”が概ね2年にもなろうかと思われる現在においては、師匠である士郎の立場を脅かす程に料理の腕は上達し、また大河の影響が大きかったのか、明るく元気な一面を覗かせるようになってきた彼女であった。

 一途に――そして健気に士郎に尽くす桜の姿は見ていて実に微笑ましいものである。
 また、客観的に見て、桜を美少女と呼称する事に抵抗のある者は少ないだろう。
 やや翳を帯びた面を漂わせるマイナス要素はあったものの、幼さの残る面持ちとは相反して高校生とは思えない抜群のプロポーションを有している彼女である。
 衛宮士郎が異性に対してごく標準的な青少年の感覚を持っていたならば、間違いなく士郎と桜は恋仲の関係にまで発展していた事だろう。
 友人の妹――という位置付けの印象が強かった事も後押ししたのだろうが、もはや国宝級と断言できる程に色恋沙汰について士郎が鈍感であった為に2人が特別な関係に進む事は無かった。

 今日こんにちになって、かつての日々を振り返り――しみじみと桜はこう呟いた。

「あの頃――強引にでも先輩を押し倒してしまえば良かった」――と。

 まだまだ諦める様子は見せていない彼女であるが、そんな反省の弁を漏らしているようである。


 続いて紹介すべきは、その間桐桜の実姉にあたる少女――遠坂凛であろう。
 私立穂群原学園ならば遠坂凛を知らぬ者は居ないと断言出来るアイドル的な立場にある彼女であるが、その卓越した美貌と、名は体を表す――の諺通りに凛とした振る舞いと、また擬態ではあるが学校では真面目な優等生を演じている為に、ある種近寄りがたい存在でもある。
 著名な魔術師としての家柄に生まれ、俗世間とは一線を画するスタンスで臨んでいる為に歳相応の恋愛経験は皆無であったのだが、半年程前に冬木市を舞台にして行われた聖杯戦争という特殊な戦いを経て、背中を預け合って戦った衛宮士郎に対して好意を抱くまでに至った。

 それは彼女にとって初恋であったようだ。
 その恋に気付く前に、戦いの最中の窮地に陥った状況下で、ファーストキスを彼に捧げている。
 もっとも、客観的には“捧げた”と言うよりも、衛宮士郎の初めてを“奪った”という表現の方が適切であろうが。
 しかしながら、ある意味、もっと重要な位置づけである彼の“初めて”は、聖杯戦争を共に戦った金髪の美少女に掻っ攫われてしまった結果となった。

 そして――これはもはや遠坂家の血統と言っても差し支えあるまい。
 ここ一番というところで大ポカをやらかすドジっ娘気質の最たる証と言えようか。
 凛が自身の初恋に気づく事が出来たのは、衛宮士郎にとっての意中の存在という立場が、既にその金髪の美少女の手に陥落した後になっての事であった。

 聖杯戦争の幕開けというスタートラインには共に肩を並べて立っていた筈なのに、恋敵セイバーがゴールインするまで、走り出そうとしなかった訳である。
 ともあれ、その先に到達されてしまったゴールラインの先に、まだまだもうひとつのゴールラインが待っている事を信じて、遥かに後発ながらも猛追を始めた遠坂凛であった。
 もはや、“どんな時でも余裕を持って優雅たれ”という家訓など考慮している余裕は無いようである。

 そんな彼女であるが、肝心の意中の相手の衛宮士郎と相対してしまうと、なかなか素直になれず、彼が密かに言う所の“あかいあくま”ぶりを遺憾無く発揮してしまい、恋敵セイバーの背を猛追する筈のその歩みは、さながら三歩進んで二歩下がるという昔懐かしの某マーチを思わせる有様であった。

 かつて、衛宮士郎は(猫を被っていた頃の)遠坂凛に憧れていた事があった――という話を耳にして、「その頃に士郎が私に告白してくれていれば――」と嘆く姿があったのは一度や二度ではない。
 とりあえず、まだまだ諦めてはいない彼女である。
 絶対に負けるものか!――と、恋する乙女としては些か不似合いな力強い握り拳を高々と突き上げる今日この頃であった。


 紹介を進めよう。
 衛宮士郎を取り巻く4人の美少女達の中では特段に稀有な存在であると言えよう彼女――イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
 おそらくは唯一人と思われる衛宮切嗣の実子である。
 おそらくは――と前置きしなければならないのは、異性全般の幅広い交友関係ストライクゾーンを有していた衛宮切嗣ならではと言える所であろう。
 “奴の知らない所で、衛宮切嗣の遺伝子を有する息子や娘たちがダース単位で存在していたとしても儂は決して驚きはしない”――と、公言して憚らない某F組の組長の弁である。
 閑話休題。

 イリヤスフィール嬢が稀有な存在と言えるのは、士郎とは血は繋がらなくとも、兄妹の関係である所から起因している。
 更に言えば、その妖精のような幼い容姿とは相反して、実際には兄妹ではなく、イリヤが姉であり、士郎が弟であるという複雑極まりない関係である。

 日頃から士郎の事を“お兄ちゃん”と親しげに呼称し、充分な助走と共に彼の胸に向けてプロレス技のプランチャのように抱きついて行く愛情表現の姿は圧巻であると言えよう。
 一方――士郎が歳相応に悩みに直面して迷いを覗かせていると察した時には、姉属性を遺憾無く発揮して、実に頼りがいのあるアドバイスを与えてくれる一面もある。
 日本中、いや世界中を探しても、妹属性でありながら、姉属性を併せ持つキャラクターは他に皆無であるのかもしれない。

 また、彼女は至ってマイペースである。
 凛と桜が、恋敵セイバーに僅かながらも引け目を感じ取っているのに対して、イリヤは自身の想いを誰に構う事無くストレートに士郎にぶつけて行く。

 “古今東西、惹かれ合う義理の兄と妹が背徳的に結ばれるのは、アミちゃんの頃から王道なのよ”――と、限りなく計測困難と言えよう薄い胸を精一杯に張って、少々歪んだ主張を展開して見せる。
 余談であるが、その某アミちゃんの方は波乱万丈の人生の果てに結局“お兄ちゃん”とは結ばれなかったようではあるが――どうやら彼女は一作目しか観ていないのであろう。
 ともあれ、それはイリヤが目指すべきひとつの方向性ではあるようだ。

 早朝のラジオ体操ならば皆勤賞のスタンプが綺麗に並ぶように、深山町の一番鶏が発声練習を始める前に頑張って早起きし、程遠く離れた藤村邸からダッシュで衛宮家へと駆け抜けて、そのまま一目散に士郎の寝床へと忍び込んで行く。
 もっとも忍び込んでいく――という表現は些か不適当だろう。
 彼女は堂々と――また、軽やかな足音をたてながら、士郎の部屋へと突き進むのであるから。

 何度か正妻セイバーの実力行使によって、その朝の日課を妨げられてしまう日もあるようであるが、イリヤスフィール嬢は決して挫ける事はない。
 鈍感な“お兄ちゃん”をいつの日か撃墜すべく、彼女の戦いもまたこれからも続いていくのだろう。


 さて、真打ち登場である。
 名高きブリテンの英雄アーサー王ことアルトリア・ペンドラゴン。
 もっとも聖杯戦争が終了し、サーヴァントとしての役目が無事に終わり、それでもなお現界し続けている今も、真名ではなくクラス名である“セイバー”という呼称を用い続けている。
 彼女なりに現在の立場と呼び名に拘りがあるのか、また、いつの日かある節目をもって真名を士郎に呼んで欲しいと願っているのかどうか、その辺りを窺い知る事は出来ない。

 彼女のマスターである士郎の剣となり盾となるという騎士王の誓いは聖杯戦争が終わった今も続いており、彼の生涯が終えるその日まで続く事になるのだろう。
 もっとも、本来なら聖杯戦争の終焉と共に、セイバーが現世と――つまりは士郎とは永遠の別離を迎える筈であった。

 そんな彼女が現世に留まる事になったのは、ひとつには士郎がセイバーにとっての羅針盤のような存在になり得た為であろう。
 単に愛し愛される関係だけならば、セイバーは迷った末にでも、現世に留まる選択を選ばなかった筈である。

“――置き去りにしてきた物の為にも、自分を曲げる事なんて、出来ない”
 ――と。
 傷つき倒れ伏し、満身創痍になりながらも、士郎は悪魔の誘惑のような言峰綺礼の誘いを断り、その彼の生き様が頑なで厚い氷のようであったセイバーの偏った意志を溶解させたのである。

 そして、現世に留まり、衛宮士郎の行く末をずっと見守りたいというセイバーの切なる願いを彼女の宝具である“全て遠き理想郷アヴァロン”が叶える形で、聖杯から溢れ出た魔力を蓄積し、彼女専用の聖杯と化したのであった。

 あげくには――無意識の内に彼女が願ったのだろう。
 いつの日か、愛する彼の子を宿したいというその純粋な想いを具現化し、セイバーに生涯を通して二度目の初潮を体験させたのも、或いはアヴァロンの秘めた力の恩恵なのかもしれない。
 しかしながら、その恩恵によって実を結ぶ日が到来するのは、まだまだ先の話になりそうである。

 さて、客観的な事実をもうひとつ。
 彼女――セイバーは衛宮士郎の恋人である。

 どんなに周囲の魅力に満ち溢れた女性陣が虎視眈々とその座を狙っているとしても、現在における士郎の想い人がセイバー唯ひとりである事を否定する者は皆無であろう。

 いかにして鈍感大魔王の衛宮士郎を僅かに2週間程度で陥落させたのか、その時点では1年半にも渡って通い妻を続けていた間桐桜ならずとも気になる所である。

 端的に言えば、2人の波長が合ったという事なのであろう。
 性格的にも互いに頑固者で融通が利かない点や、律儀で一本気、そして質実な所も2人は良く似ている。
 また、負の財産と称すると言い過ぎであろうが、生まれ育った環境は全く異なる2人ではあったものの、ある種の置かれていた境遇や、奥深くまで刻まれた心の傷痕も実に似ていると言えよう。

 派手な振る舞いを嫌い、質素でありながらも有意義な生活スタイルを目指す姿勢も良く似ている。
 そして、同じ価値観を共有し、互いに認め合う事の出来る2人であったからこそ、時代を超えて、更に言えば人と英霊という間柄でありながら、恋人同士の関係に至る事が出来たのであろう。


 衛宮士郎を巡って続いている乙女達の戦いは、士郎とセイバーが恋人同士になった事で、本来ならば、その戦いが始まる以前に結論が出ている筈であった。
 ところが、彼を取り巻く乙女達の辞書には“諦め”と“容認”の文字は存在しなかったようである。

 付け加えれば、衛宮士郎自身にも大いに問題があった。


「シロウはあまりにも凛や桜やイリヤスフィールに対して甘すぎます」


 ――と、セイバーが漏らす深い溜め息の回数を数える事は容易ではない。
 朴念仁の彼自身には作為的な意図など皆無なのであろうが、如何せん衛宮士郎は誰に対しても優し過ぎた。
 そのスタンスは性別を問わず変わらないのであるが、学校内での環境は別として、衛宮邸における女性比率は言わずもがなである。

 結果として、セイバーの身の回りでは、他の異性達に親切に接して、そして優しい笑顔を向ける士郎の姿が何度も目撃されてしまい、その度にセイバーのフラストレーションの度合いは高まる一方なのである。

 その溜まった彼女の不満は、日課となっている剣の鍛錬の時間で、当の本人である士郎相手に加減無用で発散しているようである。
 そして、度の過ぎたセイバーの不満の発散の為に、士郎が失神してしまう事も決して少なくは無い。
 その度に我に返って、慌てふためきながらも優しく寄り添いながら士郎を看護する彼女の姿が見受けられる。

 そんな2人の様子を垣間見て、にやりと微笑を浮かべながら「進歩ないのね」と呟く小さいあくまイリヤスフィールの姿があった。

 そう――士郎とセイバーの仲は間違いなく確固たる絆で結ばれているのであるが、彼女イリヤの指摘の通り、更に踏み込んだ一歩がそこにはない。
 聖杯戦争の最中においては、魔力の供給という必然的要素が介在した事もあって、互いに好意を抱いている気持ちをそのまま表に出し、心身共に深く深く結ばれた2人であるが、その戦いを終えてからはと言えば、今日日の中学生よりも健全な日々を過ごしているようである。

 そんな2人だからこそ、周囲の戦意に満ち溢れた面々の意欲は尽きる事がないのかもしれない。
 そうこうする内に時は流れ、季節は晩秋である。

 天高く馬肥ゆる秋とは言うものの、この時期ならではの色取り取りの食材を用いた士郎の手料理によって、食欲の秋を充分に堪能したセイバーであったが、その体形が1ミクロンたりとも崩れる事は無かった。
 同時期、天敵である体重計を前に善戦虚しく玉砕してしまった桜や、同様に苦戦が続いているという凛から、何とも恨めしそうな視線を浴びていたセイバーである。

 しかしながら、騎士王セイバーがそのような視線など苦にする事など微塵も無い。
 今日も今日とて至極ご満悦といった面持ちで、「シロウ、おかわりをお願いします」と彼女愛用のやや大きめと言えよう茶碗を差し出すセイバーであった。

 そんな彼女に負けじと元祖食いしん坊大将の藤村大河も負けてはいない。
「士郎〜私にもおかわりテンコ盛りで頂戴っ」――と、彼女自身都合4杯目である。
 4という数字は縁起が悪い等々理由を付けて、更に5杯目へと向かう途中経過である事は言うまでもない。
 密かに望外な食費の増加傾向に不安を怯えつつある家長の士郎としては、その内、7という数字はラッキーセブンで縁起がいいとか、8ならば末広がりで商売繁盛とか訳の分からぬ前置きと共に、プロレスラーや力士といった特別な職種に属する者を除けば、とても到達する筈も無いおかわりの数を求められるような心配を胸に抱きながら、冷や汗を浮かべる有様である。
 特に今夜は舞茸やぶなしめじ、エリンギという茸類をふんだんに用いた実に風味の良い炊き込みご飯である。
 普段にも増して彼女達の食が進む事は避けられぬ必然であろう。

 衛宮家のエンゲル係数を右肩上がりに上昇させ続けている両巨頭は別格としても、他の女性陣も世間水準世の乙女たちと比べれば、とてもではないが食が細いとは言い難い。
 体重計の針が脳裏を過ぎったのか僅かな躊躇を覗かせつつも、桜も既に3杯目を完食する勢いであるし、つい先月の中旬まで訳あって倫敦へ渡航していた凛も、存外な程に口に合わなかった現地での食事事情の反動もあってか、妹のペースを上回りそうな勢いで箸が止まらない。
 流石に小柄なイリヤは他の女性陣に比べれば、実に可愛いと称する程の食事量ではあったが、今夜は小さめの花柄模様の茶碗を勢い良く空にして、口もとに“お弁当”を付けたまま、2杯目を平らげ3杯目となるおかわりをした所である。

 もしも傍に彼女の教育係のセラが居たならば、そんな光景を目の当たりにして黙っている筈はないだろう。
 目を三角にして間髪置かずに苦言を呈した筈である。
 主の居ないアインツベルン城の留守を預かっている2人のメイド達が溜め息混じりに苦笑いを浮かべている様子が脳裏を過ぎる士郎であった。


(たまにはあの2人に差し入れでもしてみようかな)


 イリヤの口もとに付いていたご飯粒を優しく人差し指で取ってあげながら、そんな考えを巡らす士郎であった。
 もっとも、そんな考えを口にしたならば、即座に「アンタ、まだ人数を増やすつもり?」――と、あかいあくま嬢の鋭い突っ込みが入る事は間違いあるまい。

 そんな差し入れ云々の思考に気を取られていた為だろうか。
 イリヤの口もとから取ってあげたご飯粒を、さして考える事も無くそのまま自身の口に入れて食べてしまった士郎であったのだが――。

 途端に頬を真っ赤に染めあげ、円らな瞳を輝かせて喜びを露にしているイリヤを除く女性陣の眼光が鋭く光った。

曰く「士郎っ、お姉ちゃんはそんな女ったらしに育てた覚えはないわよー!」
曰く「そうですか、先輩ってやっぱり胸は小さい方が好みなんですね……」
曰く「衛宮くん、貴方そんなに明日の朝日を拝みたくはないのね」
曰く「シロウっ、なんて羨まし――いえ、なんてはしたない行為をしたのか判っているのですか!」

 ――と、ほぼ同時に口を開いた女性陣であった。
 旧壱万円札の肖像画で有名な過去の偉人と違って複数の発言を苦も無く聞き分ける能力など士郎が有している筈もない。
 何やら叱られているというおおまかな傾向は判った士郎ではあったが、彼女達の発言の細部に渡っては理解出来ている様子はなく、ただただ、あたふたと周囲の面々をぐるりと見回している。

 とはいえ、彼女達が何を言ったのか、もう一度聞けるような状況ではない事ぐらいは理解できたようだ。
 とりあえず、この突発的に押し寄せてきた高波が静かに引いてくれるように祈りつつ、苦笑いを浮かべながら押し黙っていた士郎であったのだが。
 そんな彼の胸中を知ってか知らずか――いや、おそらくはしっかりと把握していてであろうが、にんまりと満足そうな笑みを浮かべながら小さいあくまイリヤスフィールは口を開いた。


「ありがと、お兄ちゃん♪ 今度シロウがご飯粒をほっぺに付けた時は、私が舐め取ってあげるね」

 ――と、言い終えて、投げキッスを添えながらウインクひとつ。
 幼いながらも、どこか艶めいた面持ちを覗かせる彼女に、つい押されてしまった形で――よくよくその彼女の発言の内容を考える事も無く頷いてしまった士郎であった。


「あ、その、うん――その時は頼む」


 雉も鳴かずば撃たれまい――しかも殺気立った狩人達かのじょたちがひしめいている中で不穏当な鳴き声をあげたのだ。
 間髪置かずに撃たれたとしても自業自得としか言いようがあるまい。


曰く「士郎ぅぅぅぅっ! こうなったら、絶対にマイタイガー道場送りにしてあげるんだから〜! 拒否権はナッシングオールナイッ!」
曰く「ふふふっ――これで今夜の日記あんさつちょうの主人公は先輩で決まりです」
曰く「えーみーやー君っ、どうやら先立つ覚悟は出来ているみたいね」
曰く「シロウっ――古今東西、不義を働いた浮気者には天誅あるのみです! ええ、介錯なら喜んで引き受けましょう」


 果たして、桜の今夜の日記には☆印が幾つ書き記される事になるのやら――少々、気になる所である。
 また、英国ブリテンの騎士でありながら、セイバーが倭の国の武士道の習わしに精通している辺りは、彼女が日頃から好んで時代劇の再放送を視聴しているお陰であろうか。

 まさに天国と地獄は紙一重。
 先程までは喧噪ではあったが、本質的には心穏やかな夕食風景であった筈である。
 ところが、衛宮士郎にとってそこは一転して敵中の懐深い最前線と化し、なおかつ四面楚歌という有様である。
 この状況において助け船を出せる援軍はイリヤ唯ひとりではあったが――もしも彼女が士郎を庇う様な言動を見せれば、燃え盛る炎にガソリンを満載したドラム缶を投げ入れるようなものである。

 ぺたんと尻餅をつき、ふるふると震えながら、そのまま畳の上を後ずさりしていた士郎の周囲を取り囲む大河、桜、凛――そして騎士王セイバー。
 彼女達の面持ちには僅かに笑みが窺えるものの、目は笑っていない。
 その凍てつくような視線が、見逃してくれる気持ちなど微塵もない事を雄弁に語っている。
 ああ、今回は全治3日ぐらいで済ませて貰えないだろうか――と、悲劇のヒロインと化した士郎が己の宿命を呪い始めたその時だった。

 それは果たして士郎の窮地を救う天の助けか?
 玄関に据え付けてある呼び鈴が、まさにその名の如く鈴の音のようなコール音を響かせたのであった。

 その途端に、士郎を取り囲んでいた乙女達の視線が――そこからは見える筈はないのだが、玄関の方へと向けられた。
 既に時計の針は午後7時を20分ほど過ぎている。
 夜分と言っても差し支えない程の時刻である。

 既に衛宮家におけるフルメンバーが揃っている状況下であったし――そもそも来客ではなく家族という認識を持っている彼女達なら呼び鈴を鳴らす事など有り得ない。
 他にこのような時間帯に衛宮家の門をくぐる者など皆無と言える筈なのであるが、全員が聞き間違えたという事でなければ、来訪者の存在を示す呼び鈴は確かに鳴ったのである。


「お、お客さんだっ」


 戸惑って互いに視線を交し合っている女性陣の隙間を縫うようにその場を抜け出た士郎は、まさしく脱兎の勢いで玄関へと駆けて行く。

 新聞の勧誘だろうか?
 普段ならば素っ気無くお引き取り頂く所であろうが、今なら20分でも30分でも勧誘員の話を有りがたく拝聴してあげよう――と、想像可能な範疇で来訪者の予想をしていた士郎であったのだが――。


「いらっしゃい――ようこそお越し下さいましたっ」


 どちらかと言えば、他人に対してはぶっきらぼうな言動を覗かせる事の多い士郎にしては、当社比50%増量と言える程の人懐っこい笑顔を浮かべつつ、来訪者を迎え入れようと玄関の引戸を勢い良く開け放った。

 すると――そこに立っていたのは。
 新聞の勧誘員の訪問等を想像していた士郎は、その御仁を前に思わず息を呑んで呆然と立ち尽くしてしまう。

 衛宮家の玄関先に立っていたのは、見るからに欧米系の女性であった。
 年の頃は士郎よりもやや年上といった所か――もっとも、日本人の感覚で欧米系の人種を見ると実年齢よりも大人びて見えるものである。
 或いは少女の域から未だ足を踏み出していない年頃なのかもしれない。
 透き通るような白い肌が実に美しいその面持ちには、どこか幼さの残る愛くるしさも窺える。

 目に鮮やかな長い金髪を、実に高貴な雰囲気を醸し出すように幾筋かの艶やかな縦巻きロール状にしてくねらせ、更に大輪の花に身を休めている優雅な蝶のように青いリボンが両の耳元辺りを覆っている髪に結えられており、身に纏っている青を基調とした洋装と相まって、清楚でありながら優雅な雰囲気を惜しみなく表現しているようであった。

 西洋のお人形のような美少女と相対して、士郎は暫し呆然としたまま、その場に立ち尽くした。
 ある意味、美少女揃いと言える衛宮家であり、美しい異性に対する免疫は出来ていたと思われる士郎であったのだが、まるでメデューサの魔眼に射抜かれて石化してしまったかのように動かない。

 一方のその少女も、扉を開け放って姿を見せた士郎に魅入られているかのように、その場から一歩も動かない。
 潤んでいる彼女の瞳は彼の瞳を捉えて離さず、その熱い視線は南極の氷も溶かしかねない熱を帯びているようにすら感じられた。

 互いに身動き出来ず見詰め合う2人。
 その均衡を破ったのは、どうにか石化の術が解けたのか口を開ける事の出来た士郎であった。


「あ、あの――失礼ですが、どちら様でしょうか?」


 思わずそう口にしたものの、はたして日本語が通じるものなのか――と心配になった士郎は、衛宮切嗣仕込みの英会話を思い出し、片言ながらも英語でコミュニケーションを取ろうかと考えたその時だった。

 ずっと押し黙ったまま、士郎を見つめ続けていたその少女は、感極まるように涙目になりながら、ようやく口を開いた。


「あなたが、ミスタ・エミヤですね?」


「は、はい――でも、どうして俺の名前を――」


 どうして自分の名前を知っているのか、そう問い掛けようとした士郎であったのだが――彼の言葉を遮ったのは、その少女の行動だった。


「やっと――やっと、巡り合えましたわ」


 そう言い終えるよりも早く、彼女は両手を広げて士郎に抱きついて、そのボリューム感のある髪を彼の頬をくすぐるように押し当てつつ、士郎の胸に顔を埋めたのであった。


「えっ? えーっ?!」


 ボリューム感があるのは彼女の金髪だけではない。
 細身ながらも、実に量感に満ち溢れている豊かな少女の双丘の感触は、互いの衣服越しであると言うのに、その成長ぶりをひしひしと少年に伝えていく。

 突然の抱擁に慌てふためきつつも、“或いは桜以上か?”――と、流石は構造解析能力に長けている彼らしい妙な分析を思い描いたその時であった。


「あら、随分とお楽しみのようね、衛宮くん」


 彼が通う私立穂群原学園の男子生徒ならば皆が皆欲して止まないだろう――彼女が呼び掛けるその声。
 けれど、今の士郎にとっては、身の毛もよだつ悪魔の囁きのように聞こえた事だろう。

 ぎぎぎぎぎ――と、まるで機械仕掛けの人形が首を動かすように、振り返った彼の目に映ったのは。


「と、遠坂――」


 士郎の背後に姿を見せた凛は、まるで全身から怒りのオーラを発しているかのような迫力を滲ませている。
 そこいらの街のチンピラならその姿を見た途端に腰を抜かした事だろうし、場慣れしているヤクザであっても、迷う事無くその場から逃げ出していた事だろう。

 出来る事なら勿論、衛宮士郎もその場から一目散に逃げ出したかった。
 しかし、彼は謎の美少女に現在進行形で抱き締められ続けている所である。
 先程の居間での状況が四面楚歌なら、この状況は前門の虎、後門の狼のという所だろうか。
 もっとも後門で身構えているのはオオカミではなく“あくま”であるが。


「凛――そこをどいて下さい。
 シロウも愛する私の手に掛かって散るなら本望でしょうから」


 既に鎧を身に着けて完全武装のセイバーが、仁王立ちをしている凛を押しのけ前に出る。
 後門の“あくま”に更に獅子が加わり、士郎の命運はここに尽きたかと思われたのであるが――。


「セイバー、気持ちは判るけど、衛宮くんを一刀両断にするのはちょっと待って貰える?
 その前に――その鈍感朴念仁大王に抱きついている世間知らずのお嬢様に話があるの」


 凛の射抜くような眼光は士郎の身体を軽がると貫通したようだ。
 彼女の視線を受けて、ようやくその金髪の少女は士郎の身体を解放すると、玄関の式台でセイバーと共に仁王立ちしている凛を見据えた。


「お久しぶりですわね――ミス・トオサカ」


「そうかしら? つい先月、倫敦でお会いしたばかりでしょ。
 まさか、また――しかも、この冬木の地で貴女と再会する事になるなんて想定の範疇外だったけど」


「ええ、わたくしもこのフユキの地を訪れる以上、貴女との再会は避けては通れないものと観念しておりましたけれど、まさかミスタ・エミヤの屋敷内でお会いする事になろうとは甚だ存外の思いでありますわ」


 まさに一触即発である。
 2人がどんな間柄であるのか、士郎には想像できはしなかったが、再会を喜び合う関係ではない事ぐらいは否応無く理解できた。

 そしてこのまま2人を放置すれば、竜虎相搏つ展開は避けられないという事態も肌身を持って理解した士郎は、おそるおそる――と、ではあったが、2人の少女の間に割って入った。


「な、なあ、遠坂。
 玄関先で立ち話もなんだし、このお嬢さんにも家に上がって貰って、話の続きはお茶でも飲みながらという事にしないか?」


 勇気を振り絞って介入したその申し入れは受け入れられたようだ。
 一瞬、凛の殺気だったままの視線を浴びてたじろいだ士郎であったが、さして間を置かず、彼女の口から“休戦協定”の弁が述べられた。


「そうね。どうしてエーデルフェルト家のお嬢様が衛宮くんを知っているのか、後できちんと説明して貰いましょう。
 それまでは私も大人しくしておくわよ。
 けれど、ね――士郎。
 今は駄目でしょ。家には藤村先生もいるのよ。
 魔術師同士の事情を聞かせられると思う?」


「そりゃそうだ――って、するとやっぱり、こちらのお嬢さん――エーデルフェルトさんだったか?
 その、エーデルフェルトさんも、魔術師なのか?」


 素朴な疑問を口にした士郎であったが、あまりにもそれは意外過ぎる発言だったのだろう。
 三者三様に驚きを隠せない様子で――いや、むしろ呆れた様子を隠せないと言った方が適切だろう。
 大きな溜め息をそれぞれに漏らした後、いつの間にか武装を解いて普段着に戻っていたセイバーが困ったような表情を浮かべながら口を開いた。


「シロウ――エーデルフェルト家は、魔術師の家柄としては現世で三本の指に入ると言っても過言ではない程の魔道の名門です。
 残念ながら、私はこのご令嬢の名前は存じませんが、その名門の名前は英霊に過ぎない私ですら知っているのです。
 シロウも立派な魔術師のひとりなのですから、魔術師ならではの一般常識にも精通しておいた方が賢明です」


「そ、そうなのか?
 それは、すまな――いや、申し訳なかった。エーデルフェルトさん」


「いいえ、構いませんわ。
 元より、先に身元を明かさなかったわたくしが悪いのですから。
 では、改めまして――わたくしはルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトと申しますわ。
 今後はどうぞ、ルヴィアとお呼び下さいませ」


「あ、うん、判った。
 ――で、俺は衛宮士郎。
 見ての通り、無作法者で申し訳ない。
 その申し訳ないついでに教えて欲しいんだけど、俺はルヴィアゼリッタさんとどこかで会った事があるんだろうか?」


 士郎が名乗る前に彼女は間違いなくこう呼んでいた――“ミスタ・エミヤ”と。
 或いは亡父の切嗣の知り合いだろうかと考える士郎であった。
 実際の行き先は教えて貰ってなかったが、切嗣が頻繁に海外へ渡航していた事実だけは間違いない。
 その渡航先で切嗣がエーデルフェルト家と接点があったのだろうか――と、少ない情報の中でそう思い浮かべていた。

 しかし、彼女――ルヴィアゼリッタは、微笑を浮かべながらゆっくりと首を左右に振った。


「いいえ、わたくしは今までミスタ・エミヤとお会いした事はありません。
 更に言えば、貴方のそのお名前を知り得たのは、つい先日の事ですわ」


「つい、先日ですって?!」


 ルヴィアゼリッタの発言に声を荒げたのは凛であった。
 無理もあるまい。
 常識で考えれば、彼女と士郎の間に接点はない。
 しかし、残された可能性を考慮すれば、ひとつの結論が導かれる。


(まさか、この女――聖杯戦争の真の勝利者の情報について何か知っているの?)


 自らが纏めて、そして何度も何度も添削した上で作成し、魔術協会に提出した聖杯戦争のレポート。
 それは勿論、真実からはかなりかけ離れた偽りのものである。
 幸いにも、レポートの検閲を終えた筈の魔術協会からは、疑惑の念を込めた事実確認等の接触は一切無い。

 どのようなルートを経て、そのレポートがルヴィアゼリッタの目に触れる事になったのか――と、秘めた不安を表に見せず、改めて彼女を正面から見据える凛であった。


わたくしとミスタ・エミヤの切っても切れぬえにしについては、また日を改めての機会に致しますわ。
 どうやら今日は一般人のお方もご一緒のようですし」


「そうして貰えるかしら――と、言いたい所だけど、事情が変わったわ。
 冬木の管理者である私への連絡もなしに、この地に足を踏み入れた非常識極まりない魔術師をこのまま放置する訳にもいかないし」


 どうしても、今すぐに衛宮士郎の存在を知った事情を聞くまでは帰さない――と、その本当の理由は口にする事無く飲み込んで、「さあ、上がって頂戴」と付け加える凛であった。
「ここの家長は俺なのに」――と、すっかり凛に仕切られてしまった士郎は、少々拗ね気味である。

 ともあれ、売られた喧嘩は買ってあげましょう――と言わんばかりの雰囲気を漂わせつつ、凛の後に一応は付き従いつつ、衛宮家の玄関からその中へと足を踏み入れていくルヴィアゼリッタであった。


「さ、セイバー、俺達も居間に戻って、一緒にルヴィアゼリッタさんの話を聞こう」


 結果、玄関先に取り残された形となった士郎とセイバー。
 彼女にとって、士郎に対する浮気疑惑が完全に晴れた訳ではないのだろうが、先程までの険しい表情はそこにない。
 むしろ、どこか淋しげであり、俯き気味に視線を逸らしているセイバーであった。


「どうした? セイバー。
 どこか、具合が悪いのか?」


 彼女の方へと歩み寄り、視線を逸らしているセイバーの表情を窺おうと顔を寄せる士郎。
 その瞬間――すっと、セイバーは士郎にしがみ付くように身を寄せて、そのまま顔を彼の胸へと埋めた。


「せっ、せっ、セイバぁ?
 あの――」


「シロウがいけないのです」


 彼の背に両手を回し、ひしと更に抱き締めていく。
 彼女の声がくぐもって聞こえてしまうのは、あまりにも士郎の胸板に口もとを押し付け過ぎているからだろう。


「シロウは誰にでも優しすぎます。
 凛に対しても、桜に対しても、イリヤスフィールに対しても。
 だから私は不安になってしまう。
 いつの日か、シロウは他の誰かのもとへと去ってしまうのではないかと」


「セイバー……」


「判っています。本当は心の狭い私が悪いのです。
 シロウに不義めいた作為などない事も判っています。
 だからこそ、こんな自分に嫌悪すら覚えます。
 ですが――私は、貴方を私だけのものにしたいという醜い独占欲の感情を抑えられない時があるのです。
 申し訳ありません――マスター」


 士郎の胸にすっぽりと納まっている小柄な彼女の肩が震えている。
 そんな彼女がいとおしくて――そして彼女をそんな不安な気持ちにさせてしまった自身を情けなく感じる士郎であった。

 その想いを伝えるように。
 自らも彼女の背に両の手を回し、そのまま強く抱き締める。


「ごめんな、セイバー。
 俺が腑甲斐無いばかりに君を不安な気持ちにさせてしまって――。

 でもな、セイバー。
 俺の気持ちはあの黄金の平原で君に告げたあの時と変わっていない。
 そしてこれからも絶対に変わらないと誓うぞ。

 セイバー……俺は君の事を心から愛している。

 自慢できるものなんて何も無いちっぽけな俺だけど――その気持ちだけは誰にも譲れない」


 士郎の胸板に顔を埋めたまま――「何も無い」という彼の物言いに、懸命にセイバーは首を左右に振って、そして「誰にも譲れない」というその言葉に、やはり黙したまま、そして浮かべた嬉し涙を士郎の胸に擦り付けるように頷いてみせる彼女であった。

 そして、どれぐらいそのままの姿勢で2人は抱き合っていた事だろうか。
 あまりに待たせてしまっては、誰かしら様子を見にくるだろうと考えた士郎は、抱き締め続けていたその手の力をそっと抜いた。


「なあ、セイバー。
 俺達もそろそろ戻ろう」


 ちらりと玄関からその奥へと続く廊下に視線を向ける士郎。
 ルヴィアゼリッタの突然の来訪に、大河が大騒ぎせずに静かにしている事を不思議に思いながらも、客人をこのまま待たせ続ける訳にもいかないと考えたのであるが。


「駄目です。 あともう暫く、このままで」


 離れるどころかセイバーは、更にひしと我が身を士郎の身体へと擦り寄せて、抱き締めるその手に力を込める。


「お、おい、セイバー。
 そろそろ行かないと――」


「まだ、彼女の――ミス・エーデルフェルトの残り香を感じます。
 だから――駄目なのです」


 士郎の身体にルヴィアゼリッタの香りなど残させはしない――と。
 言い換えるならば、私の残り香が貴方に移るまでは放しません――と、セイバーは主張しているのだ。

 普段は皆から鈍感だと責められ続けている彼ではあったが、そんな彼女の切なる気持ちを察したのだろう。
 一旦は放したその手を再びセイバーの背に回して――そして改めて彼女を抱き締める士郎であった。

 そんな――まどろんでしまいそうな密着感に浸りながら、彼の胸の中で目を細めるセイバーは実に幸せそうである。


 しかし――世にお約束は付き物である。

 あまりに戻りが遅い2人の様子を見に来たのだろう。
 微塵も隙間の無いその抱擁を目の当たりにした小さいあくまイリヤスフィールの堪忍袋の緒はやすやすと切れてしまったようだ。


「シロウのばかぁぁぁぁっ!」


 助走充分、そして絶妙の踏み切り――跳躍一閃である。
 見事なまでの飛翔を見せて、彼女の細い脚は宙を斬る。
 まさにそれは乾坤一擲――士郎の延髄を痛打して、その一撃で彼を沈めて見せたイリヤスフィールであった。





- つづく -


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