この作品は『騎士王の新たな戦い』及び『あかいあくまの新たな戦い』と同じ設定です。
 また、ごく一部ではありますが、『Fate/hollow ataraxia』のエピソードを用いている部分があります。
 従いまして、『Fate/hollow ataraxia』を未プレイであり今後プレイされるご予定のある方や、現在プレイ中であり、未だコンプリートが完了しておられない方にはお勧め致しません。
 どうぞご了承下さいませ。



『正義の味方の女難な日々』 
〜その2〜

by イイペーコー



 世界中を探しても臨死体験をした者はそう多くあるまい。
 衛宮士郎もまた幸いにそのような経験を体感した事はない――あくまでも今までにおいては――と前置きを付けて。
 もっとも、彼の場合は常人なら確実に死に至ってしまっただろうという程の大怪我ならば、数え切れぬ程に経験してきた訳ではあるが。

 もしや、これが臨死体験なのか?――と、思い描いた衛宮士郎。
 うっすらと目を開けた彼の目に映ったのは、自分の周囲をぐるりと取り囲む鬼の群れであった。
 もっとも視界はぼやけていて判然としない。
 鬼のように角を生やした人影に取り囲まれているような感覚に苛まれているだけである。

 赤い鬼が居れば、青い鬼もいる。
 子供のように小柄な鬼も居れば、何やらアンテナのような一本の毛が特徴的な金髪の鬼もいる。
 黒い影がうにょうにょと蠢いている鬼が密かに一番怖そうだなぁ――と直感的に思い浮かべた士郎であったが、それらの見たままの光景を口にしなかったのは、彼の防衛本能が働いて未然に危機を防いだ――と言う所なのだろうか。


「ほら、衛宮くん――いつまでも寝ていないで起きなさい」


 赤い鬼が口を開いてそう声を掛けた。


「え? あ――と、遠坂?」


 ぼんやりとしていた視界が見る見る内に回復していく。
 赤鬼だと思っていたのは、あかいあくまの彼女だったようだ。


「すると青鬼は?」


 ふと――ぐるりと周囲を見渡すと、艶やかな縦巻きロール状の長い金髪が目に眩しい美少女と視線が合ってしまう。
 不穏当な発言を漏らした後である。
 どうやら非常に間が悪かったようだ。


「ミスタ・エミヤ――青鬼とは誰の事なのか説明をして頂きたいものですわね」


 目を三角にしてじろりと士郎を睨むその美少女は――ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトであった。
 彼女ひとりでも怒らせてしまったなら、ある意味では鬼より怖い人物なのであろうが、この場に控えているのは、同様に末恐ろしい面々ばかりである。
 また、彼の迂闊な発言の一文節のひとつひとつまで聞き逃す筈はない。


「ルヴィアが青鬼だって言うのは同感だけど――衛宮君。
 その前の“すると”という接続語は、どういう意味なのかしら?」


 青鬼と対になるのは赤鬼であろう――という事は容易に想像できる所である。
 ルヴィアゼリッタと同様に鋭い視線で士郎を見据える凛であった。
 それはさておいて、何気にエーデルフェルト嬢の事を気さくに“ルヴィア”と呼んでいる辺り、彼女との間柄について険悪な雰囲気を仄めかしつつも、その実は親近感を覚えているのかもしれない。


「ちょっと、リン、そしてミス・エーデルフェルト。
 折角、シロウの意識が戻ったのに、また眠らせちゃうつもり?
 時間は無限に存在している訳じゃないのよ。
 もっと効率的かつ理性的な応対が必要じゃなくって?」


 ――と、幼い見た目とは裏腹に理路整然とした主張を覗かせるイリヤスフィール。
 そもそも士郎が意識を失ってしまった原因――彼女が延髄斬りで彼をノックアウトさせてしまった事は、高々と棚に上げてしまったようだ。


「ええと、そうか――ルヴィアゼリッタさんが訪問されて。
 その後、俺はセイバーと――」


「シロウ――」


 まだ意識がはっきりとしていないのだろう。
 またしても迂闊な発言を漏らしそうになってしまった士郎であったが、マスターの窮地を救うのはサーヴァントとして当然の行為です――と黙して語らず態度で示しながら、彼の発言を制するセイバーであった。

 もっとも、日頃から鍛錬と称して、彼を最も多く窮地に送り込んでいるのは、他でもない彼女自身であっただろう。
 愛の鞭もまたマスターの為を思っての切なる行為であろうと弁護しておこう。


「衛宮くん――あの後、セイバーと2人っきりでナニをしていたのか、聞くまでもないから、とりあえず黙っていなさい。
 さて、イリヤの言う通り時間は無限にない訳だし、ルヴィアを尋問して洗いざらい吐いて貰いましょ」


「なんですの、その尋問と言うのは。
 ここはミスタ・エミヤの本拠であって、貴女のフランチャイズではありません事よ。
 その勝ち誇ったような口ぶりは遠慮して頂きたいものですわね」


 のそのそと身を起こした士郎を他所に、やはりと言うべきか、睨み合って戦意を露にする凛とルヴィアゼリッタであった。
 そんな2人を前に顔を引きつらせながら、ようやくはっきりと意識が戻った士郎は、居間に居合わせている面々を見渡して、ある人物が欠けている事に気が付いた。


「あれ? そう言えば、藤ねえはどうしたんだ?
 俺が寝ちゃってた間に帰ったのか?」


 ルヴィアゼリッタの突然の来訪に対して、もっとも大騒ぎしそうな人物の姿がない事に、ほっとしつつも、違和感を覚える士郎であった。
 確かに実態が伴っていなくとも士郎の保護者を自負している彼女が、年頃の新たな美少女の襲来を前にして、大人しく引き上げる筈はないだろう。

 もっとも、強制的に大人しくさせてしまう物騒な人物も、この衛宮家には存在している訳である。


「藤村先生なら、先に休んで貰ったわよ。
 さっきも言ったでしょ?
 魔術師同士の話題に及ぶ事が目に見えているのに、この場に居て貰ったら何かと都合が悪いでしょ」


 どうやら遠坂家自慢の調合によって睡眠薬を準備したようだ。
 突然の金髪の美少女の来訪に早速大騒ぎし始めた大河に一服盛って、その後、士郎の部屋で寝かせてあるというのである。
 かつて、その薬によって眠らされた経験のある士郎は思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 溜め息混じりに凛から視線を逸らす士郎であったのだが――その彼の目に映ったのは、居間のテーブルの隅の方で、所在無げに俯いている桜であった。


「お、おい、遠坂」


 どうして、ここに桜が居合わせているのか?――と、続けたかった士郎であるが、当の本人を前にして、その発言は出来ない。
 一般人という区分けなら、大河同様、桜もまたこの場に居て一緒に話を聞いては好ましく無いのだろうと考えた士郎は、その意を込めて凛に声を掛けて、そのまま視線を流して桜へと向けた。

 そんな士郎の心配事をすぐに察したのだろう。
「ああ、そう言えば、士郎には言ってなかったわね」――と、笑顔を浮かべながら、まるで拾ってきた子猫でも紹介するかのような気軽な口調で言葉を繋ぐ凛であった。


「桜ならここに居ても大丈夫よ。
 だって、桜も魔術師だから」


「は?」


「ついでに教えておくけど、桜は私の妹だから」


「へ?」


 呆然と口を開けたまま固まってしまう士郎であったが、ふと周囲を見渡すと、驚いている人物が他に居ない事に気が付いた。
 当の本人の桜とその姉であるという凛はともかく、セイバーやイリヤスフィールまでが、凛の発言を耳にしても動じている様子はない――つまりは桜が魔術師であり、凛の妹であるという事実を知らなかったのは、大河を除けば士郎ただ一人という事になる。
 その事を察すると、疎外感を覚えたのだろう――僅かに俯きながら淋しげな面持ちを覗かせる士郎であった。

 そんな彼の様子を目の当たりにして心を痛めているのは他でもない桜であった。
 大河を除けば、士郎とは最も付き合いの長い彼女である。
 日頃から士郎とは、長年連れ添っている夫婦に匹敵する程に阿吽の呼吸を垣間見せている桜であり――このような時にも以心伝心で彼の心境をすぐに察する事ができた。


「あの――先輩、ごめんなさい。
 本当はもっと早くお伝えすべきだと思っていたんです。
 何かのきっかけがあったら、その時に、先輩にはきちんとお話ししなくっちゃって思っていたんです。
 それなのに――ずっと今まで黙っていて――私」


 元より彼女さくらは、翳りのある少女であった。
 2年ほど前にこの衛宮家を訪れるようになって、快活極まりない大河や心優しい士郎との接点を持ち、その温かな雰囲気にゆっくりと浸透していくように、ようやく歳相応の少女らしい笑顔を覗かせるようになったのだ。
 また、それまではどこにも存在していなかった彼女にとっての居場所を、この衛宮家でようやく得る事が出来たのだろう。

 そのようやく得る事の出来た掛替えのない居場所が音を立てて崩れ去っていくような――そんな悲痛な思いに桜は直面していた。
 いや、そんな事よりも何よりも、衛宮士郎の心を傷つけてしまった――という事実が大きく彼女の心に圧し掛かっていく。


「ごめんな――さい」


 目もとには涙を浮かべ、更に俯いてしまった桜であった。
 まるで捨てられた子猫のように弱々しく肩を震わせている。
 もしも、一言でも。
 そう――たった一言でも、士郎の口から不満の意を込めた言葉が告げられたなら、桜は逃げ出すようにその場から立ち去っていた事だろう。


「そうか――ちょうど良かったじゃないか、桜。
 こうして、その話をするきっかけになった訳だからさ」


 阿吽の呼吸で桜が士郎の気持ちを察する事が出来るならば、その逆もまた同様である。
 士郎もまた桜の気持ちを言葉など交わさなくても察する事ができるのだ。
 勿論、色恋めいた彼女の想いについては全面的に例外ではあるが。

 無論、士郎とて先程感じえた疎外感を払拭できた訳ではない。
 しかし、そんな自身のちっぽけな感情など、大切な妹のような存在である桜の胸中を推し量れば、比べるまでもない事であった。

 努めて笑顔を覗かせて、沈んだ口調にならないように気を配りながら、士郎は更に言葉を繋いだ。


「考えたら、俺だって魔術師だって言う事を、桜に対してずっと黙っていた訳だから、同じだよなぁ。うん。
 こんな所も俺と桜って良く似てるんだな、ほんと。
 ――で、ずっと黙っていて悪かった――ごめんな、桜。許してくれ」


「せ、せんぱい?」


 どんな風に彼から責められるのだろうかと――身構えていた桜は、まさか士郎の方から逆に謝ってくるなど想像もしていなかったのだろう。
 俯いていた顔を上げて、目を大きく見開き驚いている様を露にしている。


「許してくれるか? 桜」


「そ、そんな――許すだなんて、私の方こそ先輩の信頼を裏切るような真似をして――」


「それなら、お互い様で許してくれるよな、桜」


 静かに桜の傍へと歩み寄り、彼女の前にすっと手を差し出す士郎。


「先輩――」


「こういう時はやっぱり握手だろ?」


「はい――」


 差し出された士郎の手に、そっと桜は自身の手を添える。
 すると士郎は、しっかりと――包み込むように彼女の手を握って見せる。
 そして――まるで子供のような零れる笑顔を覗かせた士郎につられるように、目を細めながら笑顔を返す桜であった。


(やっぱり――先輩の手って、温かい)


 その手の温かさは、桜にとっては魔法のようなものであっただろう。
 つい先程までは居た堪らない程の後悔の念と淋しさ、そして自責の思いに苛まれて涙を流していた彼女。
 今もまた目には涙を浮かべている桜であったが、それは既に嬉し涙に変わっている。


「これからはお互いに隠し事は無しにしような、桜。
 まあ、でも遠坂の妹だなんて、隠しておきたくなる気持ちは俺も良く判るぞ、うん」


「ちょっと、士郎。
 それって、どういう意味よ」


 穏やかに士郎と桜のやりとりを見守っていた凛であったが、虚を衝かれるように引き合いに出されて、途端に眉を顰めた。
 日頃から冷淡な素振りを見せてはいるが、その実は心優しい性格であったし、またとても察しが早い彼女である。
 士郎が凛を引き合いに出した理由も、桜を元気付ける為である事は百も承知であった。

 元より、あのように桜の秘密を士郎に告げれば、彼に対して申し訳ないという思いに苛まれ、桜が自らを責めてしまう事も充分に予想していた凛である。
 そして――士郎は必ず、そんな彼女を優しく慰めてあげるだろうと信じていた。

 いつの日か、未熟であるとはいえ桜が魔術師である事、そして遠坂の血を引いている事を士郎に伝えなくてはならないと思い悩んでいた凛にとって、今回は絶好の機会となりえたのだった。


(百点満点よ、士郎)


 流石は私が惚れた男ね――と、内心ご満悦の凛であったが、素直にそんな感情を彼の前で露にするような性格ではない。


「今日は曲がりなりにも客人の前だから見逃してあげるけど、今度の講義の時間は覚悟しておきなさいよ。
 いつもの3倍ぐらいはみっちりと扱いてやるんだから」


「な――3倍って、今でも充分に絞られていると思うぞ。
 そもそもこれ以上、時間を魔術の講義に時間を割いたら寝る時間が無くなってしまうって」


 溜め息混じりにそう嘆く士郎をじろりと睨みながら――内心では、別の違ったシチュエーションで、寝かせてあげないようにして見せるわよ――と、少々妄想めいた事を思い浮かべてしまう凛であった。

 そんな彼女の様子は勿論の事、彼を取り巻く女性陣の言動――そして何よりも衛宮士郎の一挙手一投足を静かに観察していたルヴィアゼリッタであったのだが、そろそろ良い頃合いと推し量ったのだろう。
 こほん、とひとつ咳払いを見せ、安堵の雰囲気が漂っていた空気に改めて緊張感を与えつつ、そのまま皆の注目を集めると、集まる視線の中から士郎の視線を選び、彼を見つめながらおもむろに口を開いた。


「ミスタ・エミヤ――貴方は、私が想像していた通りに心優しく、そして誠実なお方のようですわね。
 時空を超越した運命の出会いに、わたくしは心から感謝致しますわ」


 そう言い終えると、座っていた座布団から腰を上げて、そのまま士郎の目の前まで静かに歩み寄ったルヴィアゼリッタ。
 唐突に近寄ってきた彼女を前に身動きの出来ない士郎に対して、上目遣いの視線を絡めながら、彼の手を握ろうと手を伸ばしたルヴィアゼリッタであったのだが――。
 マスターしろうの剣となり盾となるという誓いを有言実行とするかのように、すっと脇からセイバーが2人の間に割って入り、差し出そうとしていた彼女の手を少々乱暴に払い除けた。


「何をなさいますの?」


「何を――とは異な事を。
 敬愛するマスターの身を守るのは、サーヴァントとして当然の振る舞いかと。
 今後はむやみに我がマスターに近付く事は控えて頂こう」


 射抜くように鋭い視線をルヴィアゼリッタに向けるセイバー。
 先程はイリヤによって強制的に中断させられるまで、士郎との抱擁を充分に堪能し機嫌を良くしたセイバーであったのだが、やはり来訪早々に彼に抱きついたルヴィアゼリッタの所業については許容の範疇を逸脱したものであったようで、彼女に対する心証はかなり悪いと言えよう。
 また、彼女が口にした“時空を超越した運命の出会い”という表現によって、ルヴィアゼリッタに対する悪印象は更に深まったという所だろうか。

 そう――時間と空間を越えた運命の出会いとは、まさに自分自身と士郎との事なのだ――と、セイバーは常々から考えていたのである。
 それは何人なんびとたりとも踏み入る事の出来ない2人だけの思い出であり、深い絆であると考えていたセイバーにとって、彼女の先程の発言は、大切な思い出を土足で踏み躙られたようなものであったと言えよう。

 基本的に日頃は沈着冷静な物腰を覗かせるセイバーであったのだが、士郎の事が絡むと感情的になりやすいようだ。


「ミス・ルヴィアゼリッタ。
 貴女が誇大表現を用いる人物である事はよく判った。
 また、出会って早々の異性に対して抱擁を強要するなどという淑女らしからぬ振る舞いを常としている事も理解できたつもりだ。
 これ以上、話を伺ったとしても、我がマスターの良き友人にはなり得ない人物であると察したつもりだが、いかがだろうか」


 辛辣極まりないセイバーの物言いを目の当たりにして、「なあ、セイバー」と声を掛けた士郎であったのだが――“それはちょっと言い過ぎじゃないのか”と続けようとした彼に「シロウは黙っていて下さい」と強い口調で制し、再びルヴィアゼリッタと相対して視線をぶつけ合う。

 余談は無用である――と。
 士郎とのえにし云々について、主張したい事があるのなら、早く口にせよ――と、その痛烈な言葉を視線に込めているセイバーであった。

 そんな彼女の意を否応無く感じ取ったのだろう。
 また、土俵の異なるセイバーを相手に論争の勝負を挑んでも、芳しい結果は得られないと察したのか、僅かに苦笑いを浮かべながら口を開いた。


わたくしは決して誇大な表現を用いたりは致しませんし、淑女として慎みのない振る舞いを軽々しく致したりする事もありませんわ。
 ――とはいえ、何の説明もなしにミスタ・エミヤに対してあのように接してしまった事については説明の必要がありますでしょうし、また何故なにゆえに遠く離れたこの地に生まれ育ったミスタ・エミヤの事をわたくしが知り得たのか、聞いて頂きたく存じますわ。

 もっとも――このフユキの地に参りますまでは、わたくしと相対する事になるのは、ミス・トオサカであろうと考えておりましたのに。
 その相手が貴女になろうとは――少々意外でした」


 武勇ならば右に出る者は皆無と言えようセイバーを前にして、ルヴィアゼリッタは怯む様子を微塵も見せない。
 セイバーの視線を正面から受け止めて、逆に睨み返す余裕すら窺わせる。


「――さて、どこからお話し致しましょう。
 まずはミス・トオサカの誤解から解いておきますが、私は連絡もなしにこのフユキの地へと訪れた訳ではありませんわ。
 正規の書式に則って、管理者であるミス・トオサカに対しては通告しています。
 もっとも、ミス・トオサカの屋敷の住所は存じませんでしたので、こちらの霊地を治めているフユキ教会宛に送付致しました。
 ええ、間違いなく、司祭代行の任に就いたというミス・オルテンシアに預かって頂いている筈です」


「そうなのか? 遠坂」


「え、あ、その――ミス・オルテンシア?
 そう言えば、確かあの女のファミリーネームって、そんな感じだったかも」


 慌てふためき、そしていかにもばつが悪いと言った面持ちを見せながら――渋々説明をし始めた凛であった。

 その説明によると、言峰綺礼の亡き後、暫くの間は空席となっていた冬木教会の司祭の職務を担当させる為に、あくまでも代行という位置づけであったが、聖堂教会から正規に派遣されてきた人物がオルテンシアという女性であると言う。

 1ヵ月程前、倫敦から帰国して早々の頃に教会へ出向き、紹介を受けたとの事であったのだが――。


「だって、あの女――いかにも感じの悪いヤツだったのよ」


「だからと言ってもなぁ、遠坂。
 そのオルテンシアさんから、手紙が届いているから取りに来るようにと連絡が来ていたんだろ?
 それを放っておいたのなら――」


「判ったわよ、私が悪かったってば」


「――どうやら、わたくしに非が無い事はご理解頂けた様で何よりですわ。
 さて、それではそろそろ本題に入りましょう。
 わたくしとミスタ・エミヤの切っても切れぬえにしについて、お話しさせて頂きますわ」


 この衛宮家の門をくぐり、未だ僅かな時間しか経過していない中で、ルヴィアゼリッタはここが敵陣の奥深くである事を否応無く悟っていた。
 また、衛宮士郎が意識を失っていた僅かな間に簡単な自己紹介は済ませ、その時のやりとりから、この場に居合わせている少女達全員が彼に対して一方ならぬ好意を抱いている事も察し得ていた。

 その少女達に比べれば、自分自身は明らかに後発――何しろ士郎と出会ってまだ1時間も経っていない状況である。
 その大きなビハインドを埋める為の要素としては、これからの説明が大きなウェートを占める事になる。


(確かに遅れを取ってしまった事実は覆りませんわ。
 けれど、計算ではまだ間に合う筈なのですから――ここが正念場ですわよ、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト)


 あらためて周囲の面々を見渡して、そして正面で相対するように座っている最大の恋敵セイバーへと視線を向けた後、ルヴィアゼリッタは淡々と話し始めた。


「我がエーデルフェルト家には長年の歴史の中で、魔道に関わる様々なアイテムを入手して参りました。
 訳あって詳しくはご説明できませんが、その有している家宝の中には第二魔法を応用して作られたと言われる“箱”があるのです。

 あれは1ヵ月ほど前の事でしょうか。
 そう――倫敦での雑務を終えて帰郷したわたくしは、留学に向けて必要な備品を区分けする作業に勤しんでいたのですが、とあるトラブルがありまして、その“箱”の中に閉じ込められてしまったのです」


「箱? 第二魔法ですって?」


 何やらその“箱”について心当たりがあったのだろう――思わずテーブルに両手をついて腰を浮かせた凛。
 そのまま、何らかの主張なり質問なりを口にしそうな雰囲気であったのだが、苦笑を浮かべつつ首を左右に振って、そのまま腰を下ろした。


「話の腰を折って悪かったわ。 続けて頂戴」


 遠坂凛――彼女は、思う所があれば、相手が誰であれ躊躇無くその主張を展開して見せる性格であろう――と、短い付き合いながらもルヴィアゼリッタはそう分析していた。
 そんな彼女にしては実に珍しい言動であろう――と、興味深そうにその仕草を見ていたルヴィアゼリッタであったが、いつまでもぼんやりと傍観している訳にもいかない。

 間を取る為に咳払いをした後、再び、ルヴィアゼリッタは説明を始めた。


「その“箱”は実に特殊な作りになっておりまして、箱の内部と外界とでは時間の流れが異なります。
 また、外部からは簡単に蓋を開ける事が出来ますが、箱の中からは蓋を開ける事が出来ませんの。
 悪い事に、箱に閉じ込められてしまった際、周囲に誰ひとりおりませんでしたので――そこでやむを得ず、わたくしは、持っていた携帯電話で助けを呼ぼうとしたのです」


 第二魔法だの時間の流れが異なるだの、世の常識ではおよそ納得できるものではない。
 しかし、他でもない魔道の名門であるエーデルフェルト家の末裔である彼女の言葉には説得力があった。

 もっとも、閉じ込められた箱の中で困った面持ちを浮かべながら携帯電話を掛けようとする名家の令嬢の姿を想像すると、なかなかに滑稽なものである。
 そのような光景を思い浮かべたのだろう。
 思わず、僅かに口もとを緩めた士郎であったのだが、その様子を見逃すルヴィアゼリッタ嬢ではない。

 それまでは努めて平静を保ったまま話し続けていた彼女であったのだが、途端に眉を顰めて、士郎を睨み据えた。


「シェロっ! 貴方、わたくしが陥ったアクシデントの様子を想像して笑いましたわね?!」


「え、あ――すまない。
 なんでもそつなく完璧にこなしてしまうような雰囲気を感じさせるルヴィアゼリッタさんでも、そのようなトラブルに巻き込まれる事もあるんだな――と、つい笑ってしまった事はお詫びするよ。
 本当に申し訳ない。
 でも、その――“シェロ”って言うのは俺の事なのか?」


 士郎にそう問い掛けられて、浮かべていた不機嫌の様はすぐに消え去り、一転して慌てふためくように頬を染め、「そ、その事についても、後ほど説明致しますわ!」と声を荒げながら、ぷいと視線を逸らすルヴィアゼリッタであった。


「どこまでお話し致しましたか――そう、携帯電話で助けを呼ぼうとした所でしたわね。
 幸いに圏外表示ではなかったものですから、早速、わたくしの屋敷に電話を掛けましたわ。
 箱の中は真っ暗でしたが、携帯には屋敷の電話番号を登録していたものですから、間違う事もなく掛けた筈だったのですが――電話が繋がったのは屋敷ではなく別の所でしたの」


「別の所?」


 思わず士郎は鸚鵡返しに聞き返した。
 OA機器全般から電化製品に至るまで、壊滅的に電子機器類を苦手にしている凛のようなタイプの者ならまだしも、ある程度の年齢に達している者ならば携帯電話の操作を間違う者は少ないだろう。
 ましてや比較的電話を掛ける頻度の高い自宅へ、しかも番号は登録されているのであるから、操作ミスは考え辛い。


「ええ、そうですの。
 わたくしの屋敷へと電話を掛けた筈なのに、実際に電話が繋がったのは、こちらの衛宮家でしたわ」


「なるほど、ウチに繋がったのか――って、えええっ?!
 な、なんでさ?」


 エーデルフェルト家の屋敷はフィンランドにあると言う。
 一歩を譲って、仮にルヴィアゼリッタの操作ミスがそこにあったとしても、遥かに離れた日本国内の――しかも特段北欧の上流階級の名家と一切関係のある筈もない衛宮家に電話が繋がるとは考え難い。


「どうして――と、言われましても、電話口で応対されたミスタ・エミヤが、“はい、エミヤです”と述べておられましたから、間違いはないと思いますわ」


 そう答えながら、ある種の秘め事を伝えるように意味深な視線で士郎を見つめたルヴィアゼリッタの様子を目の当たりにして、一斉に女性陣が殺気立った。
 途端にぴったりと息を合わせたかのように立ち上がり、ぐるりと士郎の周囲を取り囲む、凛、桜、イリヤスフィール、そしてセイバー。


曰く「衛宮くんっ、あなた、いつの間にルヴィアとコンタクトを取っていたのよ!」
曰く「そうですか、先輩って、やっぱり洋モノの方がお好みなんですね。
   でも、私だって4分の1は洋モノなんですよ」
曰く「ふふふっ、お兄ちゃん、どうやら久しぶりにられたいみたいね」
曰く「シロウっ、先ほど貴方は桜に対して隠し事は止めようと口にしたばかりではありませんかっ!
   舌の根の乾かぬ内に隠し事とは言語道断です!」


 またしても同時に浴びせられたクレームの連呼である。
 今回も細部は聞き取れなかった士郎であるが、各人のクレームの発言の長さに差があったお陰で、“洋物”と“言語道断”という単語はどうにか耳に止まった。

 さては、自室の机の引き出しの奥に隠している年齢指定を要する洋物系の写真集が見つかってしまったのだろうと、大きく的外れな勘違いをしてしまった士郎であった。


「す、すまんっ、だってあの写真集の女性がセイバーによく似ていたんだよっ。だからつい、その思わず――」


 衛宮士郎の辞書に学習の二文字は存在していないようだ。
 またしても、殺気立った狩人達かのじょたちが待ち構えている真っ只中で鳴き声をあげてしまった次第である。


「ほぉ、セイバーによく似ている女性の写真集ね」


「いや、ちょっと待て、遠坂――」


 今度はしっかりと士郎が聞き取れるようにと配慮があった訳ではあるまいが、目配せをして周囲を黙らせ、皆を代表して事実確認に余念の無いあかいあくま嬢である。


「さぞかし、夜のお供として愛用しているのでしょうね」


「だーっ、待て待て待てってばっ。 その激しく誤解を生じるような発言はよせって」


 脂汗がたらたらと滴っていく実に心地の悪い感覚と戦いながら、死地の中で九死に一生を得る活路を見出すべく周囲を窺おうとした士郎であったのだが――。


「先輩っ、激しく5回も使用したんですかっ?!」
「シロウも若いからね――なんだか、栗のニオイが漂ってきそう……」


 大きく曲解した桜と、耳年増モードのスイッチが入ってしまったイリヤスフィールの追撃を受けて、あえなく退路を失ってしまったようだ。
 いつの間に――そしてどこから持ってきたのか。
 愛用の竹刀を手にして上段の構えで仁王立ちの姿を見せるセイバー。
 めらめらと怒りの炎が背後で燃え盛っているように窺えるのは目の錯覚なのか。


「この、うつけものーっ!」


 彼女が振りぬいたその竹刀の軌跡を目で追える者など、人の身であれば皆無と言えよう。
 耳をつんざくような激しい打撃音と共に士郎の断末魔の悲鳴が情けなくも辺りに響いた。


「きゅうぅ………星……星が見えるスター……」


 こうして――彼の愛する剣の英霊の手にかかり、本日二度目となる黄泉の国への旅立ちとなった士郎であった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「シロウを寝かせてきたよー」


 意識を失った士郎を担いだセイバーと共に彼の自室へと向かった桜とイリヤスフィールが凛とルヴィアゼリッタの待つ居間へと戻ってきた。
 険しい表情を覗かせているセイバーの手には、なにやら如何わしい表紙の写真集が握られている。
 既に彼女達による検閲は終わっているのだろう。
 翌朝には庭で焼却処分を行う事が全会一致で決まっているようだ。


「それじゃあ、さっさと説明の続きを頼むわよ、ルヴィア」


「ええ、肝心のミスタ・エミヤが席を外してしまった事は甚だ残念ですが――まあ、いいでしょう。
 彼には今度2人っきりの時に、じっくりと話を聞いて頂きます」


「決して2人っきりになどさせませんっ」――と目を三角にして声を荒げるセイバーを他所に、ルヴィアゼリッタの説明が再開された。

 その問題の“箱”の中から電話を掛けると、第二魔法の影響からなのか、並行世界へと電話が繋がってしまうという。
 つまりは、衛宮家に繋がったという電話も、この世界の衛宮家ではなく、どこか別の並行世界なのであろうと言う事であった。


「ええ、それはもう、ミスタ・エミヤはとても親切に接して下さいましたわ。
 箱に閉じ込められ、不安に怯えていたわたくしを勇気付ける為に、一生懸命に励ましてくれましたの。

 それまでは異性に対して汚らわしいという印象しかありませんでしたけれど――彼は違いましたわ。
 言葉のひとつひとつは、どちらかと言えばぶっきらぼうで、舌足らずで――決してお世辞にも上品とは言えない物腰でしたのに、身を預けても構わないと感じる程に優しくて――そして温かみがありました……。

 本当は、そのまま何時間でも彼とお話を続けたかったのですが、携帯のバッテリーが心配だとミスタ・エミヤから忠告を受けまして、屋敷へと連絡をする為に、やむを得ず彼との通話を切らざるを得ませんでしたの。

 その後、今度こそ我が屋敷へと電話を掛けた筈だったのですが――掛けた先で電話に出たのは、ミス・トオサカ、貴女でしたわ」


「また別の並行世界の――でしょ?
 私じゃないわ」


「ええ、そうでしょうね――何しろ、その世界のミス・トオサカは、ミスタ・エミヤと恋仲になっていましたから」


 その爆弾発言が投下されると、再び衛宮家の居間には張り詰めた緊張感が漂い始めた。
「ええ、そうですか――やはりシロウは浮気者なのですね」と、再び武装を身に付けた某英霊が士郎の部屋へと向かおうとしたり、「どうして私じゃなくって、姉さんなんかに騙されるんですか〜〜」と、本性を露にしてしまう某黒い影の少女が暴れ始めたり――それよりも何よりも「ああぁぁぁっ、そっちの世界にダイブしたいぃぃっ」と、彼が傍に居たならば決して見せる事などない羞恥心皆無の有様を惜しげもなく見せてくれたあかいあくまの少女であった。


「それはもう散々その世界のミス・トオサカから一頻りの惚気話を聞かされた後――次に電話が繋がったのは、異世界のわたくし本人でしたの。
 最初は異世界からのわたくしからの電話を受けて、向こうの世界のわたくしはかなり驚いていましたけれど――お互いに情報を交換し合い、ある結論を導いたのです。

 どこの並行世界にしても、ミスタ・エミヤがわたくしと出会うのは、お互いに19才を迎える年の春から初夏に掛けてだと言う事に。

 そして、いみじくもわたくし本人から忠告を受けたのです。
 ミスタ・エミヤが倫敦を訪れるまで待っていては間に合わない――と。
 自らニッポンへ――そしてフユキへ出向いて、ミスタ・エミヤのハートが他の女性の手に堕ちる前に彼と出会い、そして将来を共にする伴侶にして見せなさい――と」


 その時の電話の事を思い出したのか――或いはその前に電話で言葉を交わしたという異世界の衛宮士郎の声を思い出そうとしているのか、ルヴィアゼリッタはそっと目を閉じて、想いに耽っている様子である。

 まるで祈りを捧げているようなその姿には、実に高貴な雰囲気が漂い、周囲からは少々声を掛け辛い様子であった。
 その様な中、ルヴィアゼリッタはその確固たる意志を伝えるかのように再び口を開いた。


「ミスタ・エミヤ――いいえ、彼女は親愛の情を強く込めながら、こう呼んでいました。
 シェロ――と。

 その愛称にどのような所以があるのか聞きそびれてしまいましたが、わたくしも彼女と同様に、その呼び名を使う事にしたのです。

 ニッポンへ向かう飛行機の中で――私は何度も何度も、“シェロ”と心の中で呼び続けましたわ。
 声しか知らないわたくしの初恋の相手に想いが届くように――」


 言い終えてルヴィアゼリッタは、実にすっきりとした面持ちで周囲を見渡し、押し黙ったまま耳を傾けていたセイバーに視線を向けた。


「どうですの? ミス・セイバー。
 わたくしの話を聞いて頂いても、わたくしとシェロの時空を超越した運命の出会いについて、なお誇大な表現であると指摘をされますのかしら?」


 それは確認の意であり、また挑戦の意思表示でもあった。
 その意図をしっかりと正面から受け止めたのだろう。
 小柄な彼女の身体がまるで大きく見えるかのように堂々と胸を張り、はっきりと凛とした声で答えた。


「ミス・エーデルフェルト。
 貴女を私の好敵手として認めます。
 しかし、並行世界の貴女と同様に、既に機を逸していると申し上げておきましょう。
 何故なら、既に私とシロウは深い絆で固く結ばれているのですから」


「苦難の道なら望む所ですわ。
 おそらくは、ミス・トオサカもそのつもりでしょうけれど、来年倫敦に留学するまでにわたくしは必ずシェロをパートナーにして見せます」


 それは決して退く訳にはいかない戦いへの参加の意思表示。
 かつてエーデルフェルト家の先祖が苦渋を味わったというこの冬木の地で、ルヴィアゼリッタの乙女の戦いの幕が上がったのであった。










 翌朝。

 普段ならばイリヤスフィールに起こされるまで惰眠を貪っている筈の虎が珍しく早起きをしたとの事で――。


「なんで士郎が隣で寝てるのよぉぉぉぉぉっ!
 しかも、ナニっ?! ここって士郎の部屋っ?!
 眠っている隙に私を連れ込んだのね〜〜〜!」


 近所迷惑も甚だしい大音量である。
 時を告げる一番鶏も卒倒しかねない声と共に、なにやら激しい乱打の音が耳に届く。
 おそらくは未だ目を覚ましていなかった士郎を叩き起こし、そのままボディブローやらアッパーカットやらデンプシーロールやら――パンチの数など数え切れぬ程の猛ラッシュを彼に対して浴びせているのだろう。


「私の純潔を返しなさいよぉぉぉっー!」


 いや、そもそも取っていないって。断じて。




 それはともかくも――このように彼の女難な日々は、これからも続いていくのだろう。
 彼に無事平穏な日々が訪れるのは、はたしていつになるのやら。
 それは神のみぞ知るという所なのか。


 いやいや、彼は女難の相に満ちている衛宮士郎である。
 神ではなく――そう、女神のみが彼の行く末を知っているのかもしれない。





- つづく -


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