この作品は『騎士王の新たな戦い』及び『あかいあくまの新たな戦い』と同じ設定です。 また、ごく一部ではありますが、『Fate/hollow ataraxia』のエピソードを用いている部分があります。 従いまして、『Fate/hollow ataraxia』を未プレイであり今後プレイされるご予定のある方や、現在プレイ中であり、未だコンプリートが完了しておられない方にはお勧め致しません。 どうぞご了承下さいませ。 |
『正義の味方の女難な日々』 〜その3〜 by イイペーコー |
深山町の洋館が立ち並ぶ丘のほぼ頂上の位置に建てられた一軒の屋敷があった。 その屋敷には他者を寄せ付けない結界が張られていて、近隣にまで足を運んでも、無意識の内にそこだけは避けてしまうような影響を周囲に及ぼしている。 由緒ある霊脈を感じさせるその洋館の主の名は遠坂凛。 聖杯戦争を創始した三家の内のひとつであり、東洋の地においては名立たる魔道の家柄である遠坂家の血統を守る少女である。 極力俗世間との関係を絶たなければならないお家事情もあって、近所付き合いなど皆無に等しい有様であり、この辺りは門戸の広い衛宮家とは対極にあると言えよう。 年の瀬も押し迫ったある日の事――そのように普段ならば、野良猫すらも敬遠して足を踏み入れない深山町の幽霊屋敷こと遠坂邸の門を潜る数人の男女の姿があった。 「待っていたわよ、さあ上がって頂戴」 その数人の男女――衛宮士郎、セイバー、間桐桜、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、そしてルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトをにこやかな笑顔で迎え入れた遠坂凛であった。 「シロウ――気をつけて下さい。 日頃よりも3割程度水増しされているようなあの凛の笑顔には、なにやら邪 「ん、判っているって、セイバー。 遠坂に限って、何の企みもなく俺達を家に招き入れるような事はしないだろうからな」 見ようによっては仲睦まじく――いや、実際にすこぶる仲が良い2人なのであるが、口もとと耳もとを交互に寄せ合い、ひそひそと言葉を交わす士郎とセイバーであったのだが。 「ちょっと、そこの2人っ。 内緒話なら、もっと小さい声で話しなさいっ!」 どうやら、某悪魔男も驚くような地獄耳 それは常人ならば聞き逃していたであろうかなり小声での会話であったが、“あかいあくま”という異名通りと言えようか――彼女の耳は一言たりとも聞き漏らす事など無かったようだ。 もっともその会話以前の問題として、目の前で意中の男性が他の女性といちゃいちゃ戯れる仕草を覗かせていた為に、分厚い鉄板だろうとも射抜いてしまいそうな鋭い眼光をその2人に対して向けていた凛であったからこそ耳に留まったと言うべきなのかもしれない。 「しかし、ミス・トオサカ――シェロが心配してしまうのも判らないではありません事よ。 日頃は平静を常とする師匠や高僧でさえも趨走すると言われる程に多忙なこの時期に、皆を集めてティーパーティーを開くなど、貴女の普段の生活態度を推し量るまでもなく実に疑わしい振る舞いですわ」 生粋のフィンランド人である彼女であったが、将来の伴侶と決めた男性の母国の習慣には一日も早く馴染もうと努力しているのだろう。 十二月の異称と、諸説あれどその謂れのひとつを早くも覚えたようだ。 「随分ね、ルヴィア。 エーデルフェルト家にとっては、本来なら敵陣と言っても過言ではない遠坂の屋敷の中まで案内してあげようと言うのに、その言い草はないんじゃないの。 別に嫌なら帰ってもいいのよ、止めたりはしないから」 「――なっ、誰も帰るとは申しておりません事よっ」 頬を膨らませつつ、僅かに視線を士郎へと向けるルヴィアゼリッタ。 もしも彼が帰ると告げたならば、迷う事無く彼女も共に帰路の途についた事だろう。 しかし、士郎が凛の屋敷へと足を踏み入れる姿勢を見せている以上、彼女とて背を向けて帰る訳にはいかなかった。 一方、桜とイリヤスフィールは苦笑いを浮かべているものの比較的落ち着いた様子を覗かせている。 凛と姉妹の関係である桜は勿論の事、日頃から彼女に健診をして貰っているイリヤスフィールは、今回に限らず何度も遠坂家の門を潜っているのであろう。 兎にも角にも、いつまでも玄関先で問答を繰り返している訳にもいかない。 凛の招きに応じて、その洋館の中へと足を踏み入れて行く面々であったのであるが――。 「――凛。貴女は、今日の招待の目的はティーパーティーであると言っていたと思いますが」 通された部屋の様子を見るなり、不審の視線を家主に向けるセイバーであった。 無理もあるまい。彼女達が案内されたその部屋は、見るからに倉庫という趣きであり、紅茶を飲みながら昼下がりの一時を楽しむ事が出来るような雰囲気ではない。 また、整理整頓の四字熟語など彼女の辞書には載っていないのであろう――日頃の家主の生活スタイルを垣間見る事が出来そうな程に小物からやや大きめの箱まで乱雑に散らかっている。 「やあねえ、セイバー。そんなに怖い顔をしないでよ。 ちゃんと用件が終わったら、お茶の準備はするわよ」 眼光鋭いセイバーの威圧的な視線を向けられ、思わず凛は本音を覗かせてしまう。 あっさりと馬脚を現した有様であるが、それを見逃す面々ではない。 「用件ね――つまり、そっちの方が本題という訳かしら?」 溜め息混じりにそう呟いたイリヤスフィールに睨まれて、思わず視線を逸らす凛であったのだが――。 「図星か」 「図星のようですね」 聖杯戦争の頃から培ってきた阿吽の呼吸は更に磨きが掛かっていると言ってもいいだろう。 元より剣と鞘の関係であったセイバーと士郎である。 こんな時――そう、冷ややかに憐れむような視線を向ける時でさえ、ぴったりと息が合う2人であった。 「これだけの魔術師と英霊を集めたのですから、その用件とやらが、つまらない内容ではない事を願うばかりですわね」 「し、失礼ね! 冬木の管理者である私が、つまらない用事で皆を集めると思う?!」 挑発的な物言いを覗かせるルヴィアゼリッタに対し、噛み付かんばかりに凛が身を乗り出して声を荒げたその時であった。 ごとり、ごとり――と、倉庫の片隅の方から物音が聞こえてきたのである。 その物音は機械的なものでも無ければ、鼠の類の小動物がたてるようなものでもない。 明らかに人が介在して何かを動かそうとしている――或いは何かを開けようとしているような物音であったのだ。 「ね、姉さん、私たち以外に誰かこの屋敷の中に――この倉庫の中に人がいるのですか?」 幽霊等の類は人一倍苦手なのだろう。 思わず悲鳴に近い声をあげたのは桜である。 しかし、その声を上げた途端に士郎の傍に駆け寄り、怖がる素振りでひしとその身を彼の身体に押し付ける有様は演技である可能性が高いのかもしれない。 「桜――あなた誰かに抱きつくのなら、士郎よりも私の方が近かったと思うけど?」 「き、気のせいですよ、姉さん」 「桜――気のせいではなく、貴女は確かにシロウに抱きついていると思いますが」 わなわなと拳を震わせながら射抜くような視線を桜に向けるセイバー。 早くシロウから離れないと承知しません――と、その目が雄弁に語っているようである。 「チッ――機を逸してしまいましたわ。 次の機会がありましたら、私にもシェロの胸板を貸して下さるかしら?」 「え、あ――うん」 「シロウっ、何を軽々しく同意しているのですかっ! ルヴィアゼリッタも淑女らしい振る舞いを忘れないように願いますっ!」 どうやら場所を衛宮邸から遠坂邸に変えても、恋敵の多いセイバーの心休まる暇は無い様である。 セイバーが厳しい口調で諌めようとしている傍で、「ダメよ、次は私の番だもん」と手を上げて順番を主張するイリヤスフィールであった。 このまま普段の喧騒の日々のように乱戦が始まってしまうのだろうかという雰囲気であったのだが――。 ごと、ごとっ、ごとり――と、まるで自己主張をしているかのように再び倉庫の隅から物音が聞こえてきたのである。 その物音を耳にして、これ幸いにとばかりに士郎の身体に抱きつこうとしたルヴィアゼリッタとイリヤスフィールであったのだが、そんな彼女達の思惑など頭に無かった彼は、いち早くその物音がした倉庫の片隅へと駆け寄っていく。 「シェロ〜っ」 「シローゥっ」 そんな2人の姫君達の不満の声も耳に入っていないのか、彼女達の方を振り返る事も無く士郎は倉庫の片隅で小奇麗な箱を見つけていた。 「さっきの物音はこの箱の中から聞こえていたぞ」 士郎の推察を裏付けるように彼の目の前で、その箱の上部の蓋の部分から、例の物音がみたび響いたのである。 一見すると、その箱は西洋の物語に登場するような宝箱のような様相を呈している。 大きさは人ひとりが中にすっぽりと入れるぐらいであろうか。 楕円状に丸みを帯びた木目の蓋には鍵が掛けられており、その物音が内側から響いているとするならば、その鍵によって何かを箱の中に閉じ込めているのだろうと連想する事が出来よう。 「遠坂、この箱に何を閉じ込めているんだ?」 物音からすれば決して小動物の類ではない。 しかし、まさか中に入っているのは人ではあるまいと思い巡らせる士郎であった。 「失礼ね、私は何も閉じ込めたりはしていないわよ」 士郎の傍に駆け寄るなり、そう答えた凛であったのだが、この箱の中から途絶える事無く響いている物音を鑑みれば、彼女の主張に説得力は感じられない。 「姉さん――まさか犯罪に手を染めていたりはしてませんよね? たとえば、先輩そっくりの可愛い小さな男の子をラチしてカンキンしているとか」 「さーくーらー、あんたねぇ。 自分の姉を何だと思っているのよ、もう」 思わず溜め息を漏らしてしまう凛である。 しかし、そんな彼女の否定の主張を他所に、箱の内側から響いている物音は鳴り止むような気配はない。 「ミス・トオサカ。まさか、この箱は――」 後から遅れて歩み寄ってきたルヴィアゼリッタであったが、その箱を見るなり表情が変わった。 ある種、険しいような面持ちのようでもあり、またそれでいて好奇心を隠せないのか、目を輝かせているようでもある。実に複雑極まりない表情であると言えようか。 「そうよ、ルヴィア。 おそらくは貴女の屋敷にあるものとほぼ同じ物よ。 第二魔法を応用して内部を特殊な屈折空間にしている宝箱。 私自身は中に入った経験は無いけれど、貴女はこの中に入って、異世界の士郎や私と電話で会話をしたのだったわよね?」 初めてルヴィアゼリッタが衛宮家を訪れたその日に彼女が説明した経緯の中で大きなポイントになったのが、箱の内部と外界では時間の流れが異なるという特殊な箱の事であった。 ルヴィアゼリッタはその箱の中で異世界へと電話を掛けて、そこで士郎の存在を知ったのである。 「道理であの時に――そう、私 「そういう事よ。まさか遠坂家にも代々受け継がれている宝箱が、エーデルフェルト家にも存在していたなんて知らなかったんだもの。 まさかとは思うけど、貴女の家と遠坂家って遠い縁続きだったりするのかもしれないわね」 さすがにその物言いは凛とて本気では無かったのだろう。 冗談めいた口調であったその発言に、ルヴィアゼリッタも声を荒げる事など無く、「寝言は眠ってから仰って頂けるかしら」と一笑に付したのみである。 「ところで凛――先程からずっとその箱の中から聞こえてくる物音について、心当たりは本当に無いのですか?」 そのセイバーの問いかけに凛は苦笑いを浮かべつつ、首を左右に振った。 「私がこの物音に気が付いたのは昨日の夜の事よ。 探し物をしていて、この倉庫に入った時に気付いたという訳なの。 断っておくけど、誰かが密かに忍び込んだという可能性はゼロだからね。 一般人だろうが魔術師だろうが、張り巡らせている結界に対して何の反応も示さずにこの屋敷に侵入する事は不可能なの」 凛の主張が正しければ、外部から何者かが遠坂家に不法侵入し、その延長線上の行動により、この箱の中にその不審者が誤って入ってしまったという可能性は無い事になる。 「そうなるとだな、遠坂――この箱の中に居ると思われる誰かは――まあ、それが人間なのか動物なのかは判らないけどさ、いったい何処からやってきたのさ?」 「士郎――それが判れば苦労はしないわよ。 確認する為には、この箱の蓋を開けなくちゃならない訳。 もしも、中に潜んでいる奴が伝説上の魔物とかだったりしたら困るでしょ? 常識では考えられないけど、第二魔法の応用によって作られたと言われている箱だもの。 ひょっとしたら異世界、或いは過去や未来のどこかと繋がって、そこから何者かが迷い込んできたという可能性はあると思うのよね」 「――という事はだな、遠坂。 要するに箱の中に潜んでいる正体を確認したかったけれど、ひとりで蓋を開けるのは危険だから俺達を呼んだという訳か?」 深々と溜め息を漏らしながら、そう答えた士郎の心中に同意したのだろう。 曰く「まあ、リンだものね」 曰く「ええ、凛ですから」 曰く「その発想は実に姉さんらしいと思います」 曰く「とにかく、これは貸しですわよ、ミス・トオサカ」 ――と、一斉に口々に不満の意を唱える少女達であった。 「うう、悪かったわよ〜。 もしもこの中にトンデモナイ悪魔が潜んでいたりしていたら、2つでも3つでも借りにしてあげるから手伝ってよ。 だってこのまま放置していたら、いつ何時に箱を突き破って中に潜んでいる奴が出て来るのかもしれないし、そう考えたら夜も安心して眠れないんだもの」 そう言い終えると、普段の勝気な姿勢を微塵も覗かせずに頼りなさげに上目遣いで士郎と視線を重ねる凛であった。 「ねえ、士郎――お願い」 「あ、う、うん、そりゃ遠坂が困っているなら、な」 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ――とは、まさにこの事であろう。 箱の中に潜んでいる相手が敵対する姿勢を見せた場合、戦力的に見れば半人前以下の魔術師に過ぎない士郎が最も頼りにならない事は言うまでも無い。 しかし、士郎がうんと頷けば、彼のサーヴァントであり恋人でもあるセイバーは否応無く手を貸すであろうし、士郎の義姉にして妹的な存在でもあるイリヤスフィールも同様であろう。 魔術師としては未知数なれど才能としては士郎よりは遥かに期待できる桜も、士郎が手を貸すなら、盲目的に彼を守ろうと努力は惜しまない筈である。 もっとも、士郎云々の前に実の姉の悩み事なのだから、基本的には心優しい桜が無下に断る事などありえないのであろうが。 そしてルヴィアゼリッタ――彼女についても語るに及ばない。 将来の伴侶として既にターゲット 「シロウは本当に凛に甘い――。 いえ、相手が凛に限った事ではありませんが」 ――と、大きな溜め息と共に、俯き気味にしみじみと不満の意を唱える騎士王の姿があった。 もっとも、そんな可愛い恋人の胸の内を察する事の出来ない鈍感大魔王の衛宮士郎である。 疑問符を浮かべて苦笑いを覗かせる彼の様子に、周囲の面々も――あげくには凛まで、彼女に対して同情の念を持ったのである。 「ほんと、こんなのが相手だと苦労するわね、セイバー」 「はい――ではなくって! シロウは“こんなの”ではありませんっ! そもそも、貴女に言われたくはないのですがっ」 ――という実にかしましいやりとりを経て、遠坂家の家宝のひとつである“宝箱”の蓋を開ける事になった面々。 凛とルヴィアゼリッタが共同作業で準備した強力な結界で倉庫全体を囲い込み、イリヤスフィールはすぐさま障壁を展開できるように詠唱を開始している。 その障壁展開の準備も整ったのだろう――にこりと笑みを覗かせつつ、「いつでもいいわよ、シロウ」と声を掛ける彼女であった。 「シロウ、決して油断だけはしないように願います」 「おう、判っているさ」 久方ぶりに鎧を身に纏いその手には愛剣を手にして完全武装で臨んでいるセイバー。 最も危険であろう宝箱の蓋を開ける役目について、勿論立候補した彼女であったが、「危険な事をセイバーにさせる訳にはいかないさ」と、皆の予想通りに強く主張して譲らなかった士郎が、その役目を担う事になったのである。 万が一の際にはすぐさまイリヤが強力な障壁を展開してくれる手筈になっているとはいえ、セイバーにとっては気が気でない心境であった。 無論、危険を察知したならば盾となって士郎の身体を守るつもりで、彼の傍らから離れようとはしない。 それは後方支援――つまりは最前線からは離れて、万が一に虚を衝かれて囲いを突破されてしまった場合の二の矢もしくは三の矢という役回りで凛やルヴィアゼリッタの背後で身構えている桜もまた心境は同様である。 代われるものなら、その士郎の役目を引き受けたかった筈であろう。 祈るような表情で彼の背中を見つめつつ、「先輩…」と呟く彼女であった。 「士郎、判っているわね。蓋を開けたらすぐさまそこを飛び退きなさいよ」 「大丈夫ですわ、シェロ。 貴方の御身は全てこの私 そんな少女達の声を背に士郎はおもむろに宝箱のふたの鍵を外し、息を継ぐ間を置かずにその蓋に手を掛けた。 「開けるぞ」 彼のその合図に少女達は一様に頷いた。 そして僅かに金具と金具が擦れて軋むような音を篭らせつつ、士郎の手によってその宝箱の蓋は開かれていったのである。 一瞬ではあるが、その箱の中は空であるかのように見受けられたのであったのだが――その刹那であった。 唐突に比較的小さな人影が目に留まったかと思うと、その人影は尋常ならぬ速さで箱の中から飛び出して来たのである! 「どいてシロウっ!」 思わず声を荒げるイリヤスフィールであった。 彼女を以ってしても障壁の発動のタイミングを失わせたその速さは、盾となるべく身構えていたセイバーでさえも反応ができずに立ち遅れた。 「そんな馬鹿なっ――」 僅かに遅れて伸ばしたセイバーの手を掻い潜り、迷う事無く一直線に――まるで放たれた弓矢が的を射抜くように、宝箱の中から姿を見せた人影は士郎の胸へと飛び込んでいく。 「なっ!?」 驚きの声をあげつつ、あまりのその勢いに押されて士郎はその場で尻餅をついてしまったのであるが――どうやら彼の胸の中に飛び込んできたその人物には敵意は無かったようである。 ひしと細い腕に懸命に力を込めて士郎の身体にしがみ付くその小柄な人物は、ぶるぶると身を震わせ始めたかと思うと、唐突に声を上げたのであった。 「あーん、怖かったよう、父様 その幼い少女の切なる叫びが響いた途端に――それまで張り詰めていた辺りの雰囲気は、全く別の意味で空気が凍りついた。 「あ、え、その――」 自身の胸の中で泣きながら抱きついてその身を離そうとしない小さな少女を思わず自らも優しく抱き締めながら、士郎は言葉を探そうとしたのであるが、混乱しているのか呆然とした面持ちで尻餅をついたまま固まっていた。 「ねえ、衛宮くん――私たち、よく事情が判らないんだけど」 自然と士郎を取り囲むように集まった少女達。 その彼女達を代表するように問い掛ける凛であった。 「ええ、シロウ――浅はかな私にも理解できるように、その少女と貴方の関係について、詳しく説明して欲しいのですが」 完全武装の姿を解かず、剣の切っ先をズンと響かせるように床を突き、怒りを抑えているのか、ふるふると肩を震わせているセイバーであった。 その一触即発の雰囲気の中――投じられた爆弾娘は、更なる誘爆を導くような言葉を口にする。 「ねえ、父様――このオバサマ達はいったい誰なの?」 「だ、誰って、その――なあ、なんて説明すればいいんだ?」 助け舟が欲しかったのだろう。 士郎は自身の周囲を取り囲んでいる少女達に視線を向けたのであるが――。 「お、お、おばさんですって――?!」 「問答無用ですっ!」 「以下同文ですことよー!」 嗚呼、雉も鳴かずば――いや今回の場合、雉本人は鳴いてなかった筈なのであるが。 怒髪天を衝く様相と化した乙女達を止めるのは、ギリシャの大英雄ヘラクレスを以ってしても不可能であろう。 その怒りの矛先が発言者ではなく衛宮士郎に向けられた事は言うまでもあるまい。 そして、強固な結界で密閉されたその空間の中で、なんとも哀れな少年の――まるで断末魔のような叫び声が響いたのであった。 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 「それで父様がこんなにも若かい姿だったんだ。 私、びっくりしちゃったよ、うん。 てっきり若返りの魔術でも使ったのかなーって思って」 場所を倉庫から遠坂邸の客間に移し、意識を失った士郎の目が覚めるのを待つよりも早く、“おばさん”と呼称された面々は、それぞれに顔を引き攣らせながらも、その少女から事情を聞いていた。 士郎と同じ鮮やかな赤みを帯びた髪をショートに纏めたその少女は、最初こそ怯えたような様子を覗かせたのであるが、セイバーや凛達の面々を落ち着いて見渡し、自分の見知った人達の若かりし頃の姿であると認識すると、安堵したのか円らなその瞳を輝かせながら、凛達の問い掛けに受け答えたのであった。 士郎の娘だというその少女――年の頃はまだ5〜6才ぐらいであろうか。 なみなみとホットミルクが注がれたマグカップを両手で持ちながら、美味しそうに喉を潤している。 彼女のその説明によれば、とある理由で母親と口論になり、幼さ故の発想であるが、暫くの間だけ身を隠そうとして例の宝箱の中に隠れるように入っていたと言うのである。 凛の仮説を付け加えると、宝箱による第二魔法の影響の為か、異なる世界――或いは同列の世界なれど過去の世界へと迷い込んでしまったのではないかと言う内容であった。 「あなた――随分と落ち着いているみたいだけど、異世界、もしくは過去の世界に迷い込んでいる状態なのに怖くはないの?」 実年齢は別として、外見的には年齢も背格好も最もその少女に程近いイリヤが問い掛けた。 本来ならば、どんな状況下にあろうとも無条件に士郎の妹的ポジションは自分のものだという確固たる意識があったのだろうが、彼の娘であるとはいえ、その立ち位置を奪われてしまったかのような気分もあってか、少々意地悪な物言いになってしまっている。 「ううん、全然怖くないよ。 だってここには父様もいれば母様もいるんだもの」 それは深い意図など何もない回答であった事だろう。 しかし、彼女が発した言葉の中には、重大な要素が含まれていたのである。 『ここには父様もいれば――“母様”――もいるんだもの』 そのフレーズは少女達の脳裏に確実に木霊していく。 それまでは皆ソファにのんびりと腰掛けていたと言うのに、途端に腰を上げて俄かに殺気立ってしまう。 「ね、ねえ、ちょっといいかしら?」 おそるおそる――そして周囲の面々の様子を窺いながら凛は口を開き、こう問い掛けた。 「貴女が士郎の娘だという事は判ったわ。 ――で、参考までに聞きたいんだけど、あなたのママの名前はなんて言うの?」 それは核心に触れる質問である。 先程の彼女の発言内容を考えれば、ここに居合わせている女性陣――セイバー、凛、桜、イリヤスフィール、そしてルヴィアゼリッタの5人の中に彼女の母親が含まれていると想定する事ができよう。 はたしてその士郎の娘だという少女は何と答えるのか? もしも彼女が異世界からの来訪者ではなく、同じ時系列における未来からやってきた娘であったとしたならば、その少女がこれから告げる名前は、未来における衛宮士郎の妻の名前だと言う事になるのである。 頭数なら確率は各々20%。 現在における士郎の意中の相手がセイバーである事を鑑みれば、彼女のみ確率はプラス方向に傾く訳であるが、勿論100%には程遠い。 むしろ母と娘の喧嘩の後に、例の宝箱に身を隠す事ができるという家庭環境を考えれば、遠坂家、或いはエーデルフェルト家の娘であると推測する方が自然であるのかもしれない。 しかしながら別の可能性も否定は出来ない。 例えば、将来において資金繰りに困った凛が家宝である宝箱を手放すという可能性である。 売り渡した相手がアインツベルン家、或いは間桐家となれば、将来においてイリヤスフィールや桜の手元に例の宝箱が存在していてもおかしくはない。 遠坂家の資産の大半を既に使い果たしてしまっているのではないかと思われる節のある凛である。 その可能性は決して低くはないだろう。 そもそも血を分けた娘なのであるから、ある程度は母親の面影を感じさせても良い筈なのであるが、前述の通りに髪の色は父親譲りであり、また肌の色、瞳の色や形も士郎の遺伝子を色濃く継いでいる事ばかりを感じさせていて、外見上で母親を特定する事は困難であった。 ならば性格――なのであるが、これもまた特定は難しい。 もしもこのままの家庭環境で士郎の周りから今の女性陣が離れる事無く残った場合、娘の性格形成において両親以外にも周囲の大人達の影響を強く受ける可能性があるだろう。 その場に居合わせた面々は、口にこそ出してはいないものの、皆、似たような想像を巡らせて、自分が彼女の母親――つまりは士郎の妻であるという根拠を集めて、その可能性を推し量っていたのである。 「え――名前?」 どうやらその少女はホットミルクの方に気持ちが傾いていたのか凛の問い掛けを半ば聞き漏らしていたようだ。 「そうよ、名前よ――名前を聞かせて頂戴っ」 半ば迫るようにその幼い少女を取り囲んでいた面々は、一歩二歩、そして三歩と彼女の方へとにじり寄っていく。 はたして、彼女は――士郎の娘はなんと答えるのか。 手に汗を握る局面を迎え、緊張感は最高潮に達した。 その異様な雰囲気が漂う中、少女はにこやかに笑みすら浮かべながら、こう答えたのである。 「カレンだよ」 それはあまりにもクリティカルな一撃であった。 少女達は皆呆然と立ち尽くし、言葉もなく固まってしまっている。 それでもなお――士郎の娘が口にした母親の名前について、否定的な視点はなかろうかと、否応無く判断を保留して可能性を見い出すべく思考を巡らせていく者もいる。 「それはその――可憐だと、いじらしくて可愛らしいと周囲から言われているという意味では――」 辛うじてそう呟くように問い掛けた桜であったのだが、一笑に付すように彼女は笑顔のままその可能性を切り捨てた。 「うん。よくみんなから可憐だって言われるよ。 名前と同じだ――ってね」 名前と同じ――可憐、かれん、カレン。 もはやこの期に及んで彼女の母親の名前を――つまりは士郎の妻となる女性の名前を覆す事は出来ないのであろうか。 少女達は、皆、落胆の色を隠す事ができず、がっくりと肩を落としている。 現在において、士郎と接点のある女性でカレンという名前の女性はただひとり。 カレン・オルテンシア。 現在の冬木教会において司祭代行の任に就いている少女である。 もっとも、士郎と接点があると言った所で今の所は取り立てて親しい間柄ではない。 むしろ歪んだ性格の一面を覗かせるカレンに対して、士郎は彼女の事を恐れているのか、なるべく避けようとしているように見受けられている。 そもそも出会いが最悪であった。 士郎の顔を見るなり、何かしらの幾何学的な模様を彼の顔に描こうとしたのである。 更には士郎に対して、頻繁に教会へと足を運ぶように執拗に迫ったのであったのだが――。 『いや、別に俺は聖職者じゃないし』 『ああ、そうですか――それでは、あなたは生殖者なのですね。 つまりは種馬であると。 ええ、そうでしょうね――こうして貴方の傍に居るだけで、何となくですが孕まされてしまいそうな予感がします』 2人がそのような会話を交わしていた事を思い出す少女達であった。 (まさか、あの女――本当に士郎の傍に居ただけで妊娠したとでも言うの?) 生物学上において霊長類がそのような方法で子孫を残せる筈はない。 しかしながら、ある種の常識を卓越しているかのような存在感を滲ませている彼女 いずれにしても重苦しい雰囲気は払拭できない。いや、出来る筈もあるまい。 曰く、「シロウの浮気者、シロウの浮気者、シロウの浮気者ッ〜!」 曰く、「先輩……どうして私じゃダメなんですか。どうしてあんな女に――」 曰く、「やっぱりあの時に強引にでもシロウを私のサーヴァントにしておけば良かったのかしら」 曰く、「こうなったら改名も已む無しですわね。すぐに本国に帰ってルヴィアゼリッタの名をカレンという名に変えて差し上げますわ」 中にはとんでもない事を口にしていた御仁も混ざっていたようであるが、要はそれ程に混乱していたという事である。 そして、皆の思いを締め括るように「こうなったら今夜にでも士郎と既成事実を作って見せるわよ!」と凛が叫んだその瞬間であった。 閉じられていた客間の扉が開いて、ようやく目が覚めたのだろう――士郎がその場に立ち尽くしていたのであった。 そしてなんとも困ったような面持ちを浮かべつつ口を開いた。 「えーっと――あのさ、遠坂。 なんだか、今の言葉の意味が良く判らなかったんだけど――」 嗚呼、返す返すも雉も鳴かずば――以下同文。 「ナニ、勝手に乙女の告白を盗み聞きしているのよーっ!」と理不尽極まりない物言いを残しつつ、ガンドを連射した凛に、まさしく撃たれてしまった士郎は再び深い眠りについたのであった。 ――合掌。 「あーっ、父様―っ!」 悲鳴のような声を上げつつ、目の前で再び意識を失い倒れてしまった父の下へと駆け寄っていくその少女。 そして小さいその身体の四肢を精一杯に大きく広げ、まるで士郎の盾となるかのように仁王立ちすると、凛に向かって相対した。 「カレンのっ――私の父様をいじめちゃダメっ!」 愛する父親の為なら、たとえ火の中、水の中――という強い意思をひしひしと感じさせながら、少女は強く主張して見せた。 しかしながら、そんな健気な幼い少女の意思表示はそっちのけで、彼女が発したその言葉の中のとあるポイントが、周囲を取り巻く少女達の思考を釘付けにしたのである。 そう、“カレンの――私の父様”という部分である。 幼い少女ならば、自身の呼称に自らの名前を使う場合は決して少なくは無い。 私の――と言い直したのは、そのような癖が付かないように日頃から母親などから注意を受けているからなのかもしれない。 「あの……さ、何度も聞くようで悪いんだけど。さっき言っていた“カレン”という名前は――」 「そうだよっ! カレンは私の名前っ! 私の名前は衛宮カレンだもん!」 とりあえず――士郎の将来の奥様候補の中から、カレン・オルテンシア嬢が消えた瞬間であった。 そう――世の中広しと言えど、母親と同じ名前を娘に名付ける事など、少なくともこの倭の国においては限りなくゼロに等しい可能性であろうから。 「――というコトはさ、カレンちゃん。 あなたのママの名前は――」 「もう教えてあげないっ! 父様をいじめる人なんか大嫌いだもんっ!」 泣く子と地頭には勝てぬものである。 鎌倉時代から続くその諺通り、どのように高名で優れた魔術師や英霊であっても、大粒の涙をぽろぽろと零して泣き始めたその幼い少女――衛宮カレンに勝てる者など皆無であったのだった。
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