この作品は『騎士王の新たな戦い』及び『あかいあくまの新たな戦い』と同じ設定です。
 また、ごく一部ではありますが、『Fate/hollow ataraxia』のエピソードを用いている部分があります。
 従いまして、『Fate/hollow ataraxia』を未プレイであり今後プレイされるご予定のある方や、現在プレイ中であり、未だコンプリートが完了しておられない方にはお勧め致しません。
 どうぞご了承下さいませ。



『正義の味方の女難な日々』 
〜その5〜

by イイペーコー



「おい、遠坂っ! お願いだから起きてくれっ!」


 何度そのように叫んだ事だろう。
 一刻たりとも休む事無く走り通して遠坂邸の屋敷の前に辿り着いた士郎とセイバーであったが、その玄関先で足留めを食っていた。

 呼び鈴を何度も鳴らし、その重厚な玄関の扉を激しくノックして、家主である遠坂凛を呼び続けている士郎であったのだが、足留めを受けてから既に5分程の時間が経過していた。
 学園内等で見受けられる日頃のパーフェクトな振る舞いからは想像も出来ない程に朝は極端に弱い凛である。
 連打される呼び鈴やノックの音、そして密かに意中の君である士郎の呼び声をもってしても、彼女の深い眠りを妨げる事は出来ないのかもしれない。


「おい、とおさかーっ!」


 もう何度目なのか数え切れない士郎の呼び声。
 もしも彼が呼び方を変えて「愛してるぞ、遠坂!」などと口にすれば、たとえそれまで安眠を貪っていたとしても、彼女は反射的に飛び起きて玄関まで駆けて来た事だろうが、そこまで機転の利く士郎では無かったし、また鈍感な彼が凛から好かれている事を察し得ている筈もない。

 結果、ようやく寝巻き姿の――そして瞼が半分閉じられたままの凛が玄関先に姿を現したのは、それから更に数分後の事であった。


「ちょっとー、折角心地良い二度寝を堪能していたのに、こんな朝早くから何の用よ?
 プロポーズ以外の用事だったら門前払いなんだからね。
 全く――親子揃って私の安眠を妨害するなんて――もう、こうなったら生涯掛けて添い遂げて貰うんだから」


 未だ思考が朦朧としているのだろう。
 普段ならば、士郎本人を前にしていたなら、決して口にする筈もないような単語――プロポーズやら添い遂げて云々やらを平気で覗かせている凛であった。
 おそらくは、この後――かなりの時間を要してから、自身が口にした爆弾発言の事を思い出して、頬を染め上げ悶々としながら激しく後悔する事になるのだろう。

 しかし、時と場合によってはこれ以上ない程のクリティカルな凛の発言であったと言うのに、士郎はそのポイントを外して、彼女が口にした言葉のある部分にのみ大きく反応していたのである。


「遠坂っ、“親子揃って”――と言う事は、やっぱりカレンはここに来ているのか?!」


 そう問い掛けつつ、寝巻き姿の凛の正面に歩み寄り、そのまま彼女の両肩に手を添える士郎であった。
 見ようによっては、キスを迫っているようにも見受けられる。
 そのシチュエーションに敏感に反応してしまったのは、つい先程まで寝惚けまなこだった凛である。
 酸性を示すリトマス試験紙のように頬を真っ赤に染め上げて――やはり寝起き直後で思考が混乱しているのか、日頃から士郎本人に対しては直隠しにしている欲求を僅かであるが覗かせてしまう。


「ちょ、ちょっと、士郎――い、今はダメよ。だって起きたばかりでまだ歯を磨いてないのっ。
 だから、もう少しだけ待って――」


「はい?」


 戸惑う士郎を他所に、頬を染めたまま困ったような面持ちを窺わせつつ、彼の口もとに自身の人差し指をそっと添えたかと思うと、くるりと身を翻して屋敷の中へと戻って行く凛であった。


「遠坂の奴、なんだか寝惚けていたみたいだけど――どうしたんだろうな」


「シロウ――貴方に他意が無い事は充分に承知していますが、それを私に尋ねないで頂きたい」


「なんでさ?」


「もう少しシロウは女性の心情に対して敏感になった方が良いという事です。
 もっとも、あまり長けてしまうのも考えものでありますが――むう。そうですね、やはりシロウは今のままが良いという事でしょう」


 どの道苦労するのは私ですから――と、溜め息を漏らしつつ付け加えながら、扉が開きっぱなしになっている玄関をくぐるセイバーであった。


「おい、セイバー。
 遠坂に断りも無く中に入っていいのか?」


「凛の事は放っておきましょう――おそらくは暫く戻ってこない筈ですから。
 それに今はカレンを探す事が先決です。
 先程の凛の話から推察すると、今朝早くにあの娘がここに来たのは間違いないでしょう。
 無論、魔術師の屋敷なのですからおいそれとあちこちの部屋に出入りは出来ませんが、あの宝箱が置いてある物置なら問題ないでしょう。
 そしておそらくは、あの物置にカレンが居るのではないかと思うのです」


 数日前、遠坂邸の家宝である宝箱を通して、並行世界か、或いは同じ時系列の未来からやってきた少女、衛宮カレン。
 昨日までは無意識の内にカレンを避け続けていた為か、彼女の気持ちなど全く察する事が出来なかったセイバーなのであるが――心から彼女の身を案じている今では、根拠は無いもののカレンの行動が判るような――そんな感覚を得ているセイバーであった。

 それが血を分けた母と娘ならではの絆がなせる業なのか。
 未だにカレンの母親が誰であるのか明確な答えは出ていないものの、セイバーにとっては、それは些細な事になりつつあった。
 彼女――衛宮カレンの母親が自分以外の女性であったとしても、彼女が士郎の娘だという事実は変わらない。
 愛する士郎の娘ならば、彼と同様に守るべき対象であり――そして愛するべき対象であると悟ったセイバーの行動は極めて迅速であった。

 背後から士郎が付き従っている事を確認しつつ、先導して地下の物置へと続く階段を駆け下りて行く。
 そして迷う事無く物置の扉を開け放って、その中へと足を踏み入れたセイバーは周囲を見渡しつつ声を上げた。


「カレン、ここに居るのですか?!」


 カレンを心配するあまり、思わず大きな声を上げてしまったセイバーであったのだが――どうやら探していたその幼子は彼女が怒っていると勘違いしたのだろう。
 探し求めていた少女、衛宮カレンはセイバーが予想した通りにその物置の片隅で所謂体育座りの格好で腰を下ろしていたのであるが、びくりと身を震わせると半身の姿勢に立ち上がって後ずさった。


「来ないで! どうせ私の事なんて嫌いなんでしょ?!」


 その言葉は愛情を欲する思いの裏返し。
 本当は愛して欲しいという願いが見え隠れしている。

 しかし、こと“母親”としては全く経験値のないセイバーにとっては、その言葉に秘められた彼女の思いをストレートに受け止める事は容易ではなかった。
 彼女の姿を視界に捉え、そのまま駆け寄ろうとしていた足が思わず止まってしまう。


「そんな事はありませんっ!
 私はっ! 私は貴女の事がっ!」


 戦場でどんな難敵を前にした時でも、セイバーが前進を躊躇う事は一度も無かった。
 そんな彼女がその踏み出す一歩に勇気を振り絞り、ようやくカレンの方へと歩み寄ろうとしたその時であった。


「私なんて、どこか別の世界へ行っちゃえばいいんだっ!」


 引き留めて欲しいのにその思いを口にする事ができない。
 それが幼子ならではの感情表現なのであるが――胸に秘めた思いに反して行動に転じた彼女の動きは常人とは思えぬ速さであった。
 それはまさに騎士王とまで崇められた母からの遺伝の証なのか、素早く物置の奥へと向かうと例の宝箱の蓋を開け放ち、そのままその中へと飛び込むように押し入ったカレンであった。

 今にして思えば、もっと早く彼女――衛宮カレンの母親を特定できる要素がここにあったのだ。
 そう――数日前のこの場所で士郎が宝箱の蓋を開け放った時、カレンはイリヤが準備していた障壁が展開されるよりも早く、そして何よりも完全武装で油断など全く見せずに士郎の傍で彼を守っていたセイバーの遮る手までも掻い潜り、父親である士郎の胸の中へと飛び込んでいったのだ。
 そのように特定の局面においては人の域を超越しているかのような潜在能力を発揮した彼女なのである。
 その父親が魔術師であるとはいえ、身体能力はごく標準的な人物なのであるから、遺伝子上の点を考慮すれば、母親の方が超人的な能力を有しているのだと考える方が自然であろう。


(そうさ――やっぱりカレンの母親はセイバーなんだ)


 日頃から鈍感であると周囲から言われ続けている士郎であったが、目の前で再び尋常ならぬ素早い動きを露にした娘を前に、愛するセイバーがカレンの母親であると確信し、安堵の思いを胸に抱いた。


「カレン、良い子だからそんな所に隠れないで――ええっ?!」


 セイバーと共に宝箱の傍へと駆け寄った士郎であったのだが、その箱の中へと視線を落とした途端に驚きの声を上げてしまう。


「シロウ、これはいったい?」


 我が子が身を潜めていると思われたその箱の中は漆黒の闇に包まれており、少なくとも視界が届く範囲に箱の底を見い出す事は出来なかった。
 慌てて宝箱の周囲を窺うが、無論、カレンがその周囲に隠れている事などなく、また箱自体の外観には特段に不可思議な点もない。
 更に箱を持ち上げれば、その箱の底の下には物置の床を周囲と同様に見い出す事が出来た。


「第二魔法を応用して内部を特殊な屈折空間にしているとかなんとか、遠坂が言っていたが――まさかこれ程に異様な物だとはな」


「シロウはここで待機して下さい。
 私はあの娘を追います」


 自身の僅かな躊躇のせいでカレンを行かせてしまったという負い目もあったのだろう。
 およそ冷静な判断力を失っていたセイバーは、士郎の返答を待つまでも無く、箱の口からその奥底さえ見えぬ闇の中へと身を投じたのであった。


「おい待てっ! せめて遠坂に――って、もう全くっ!」


 宝箱の持ち主である凛を呼べば何らかの対策があるのかもしれないと考えた士郎であったが、娘であるカレンに続き、セイバーまでもその中へと姿を消してしまい、その選択を選ぶ余裕は全く無くなっていた。
 身を投じる事を躊躇すれば、先行しているカレンやセイバーと巡り会えなくなるのではないかという恐れを抱いた士郎の表情から迷いの色は消えていた。
 そして――ままよ、とばかりに大きく口を開けた格好の宝箱の中へと飛び込んでいく士郎であった。

 そもそも士郎が大人しく待機できる性分ではない事など、普段の彼女であれば充分に承知していた筈である。
 つまりは、それ程にセイバーは冷静さを失っていたと言う事であろう。

 兎にも角にもその場に居合わせた3人全員が宝箱の中へと姿を消し――そして、その行動を待っていたのか、宝箱はまるで意思を持っているかのように、ゆっくりとその扉が閉じられていったのである。


「ちょっとー、士郎〜! セイバー、どこに行ったの?!」


 そうして――士郎やセイバーの姿を探す為に凛が物置に足を踏み入れた時には、既に何事も無かったかのように静寂が辺りを支配していたのであった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 ただひたすらに闇の中を落下していくような感覚を想像していたセイバーであったのだが、幸いにすぐに地面へと降り立つ事が出来た。
 着地した際には殆ど衝撃もなく、体感的にはせいぜい1メートル程度の高さから降り立った程度である。


「ここは一体?」


 たった今、降りてきた筈の宝箱の入口へと視線を向けるように宙を仰ぎ見るが、そこには夕闇迫る赤く染まった空が広がっているだけであり、人工的な構造物の入口など全く見えない。
 更に周囲を見渡すと、そこは荒れ果てた大地であった。
 元から赤い土壌であるのか、或いは夕日に染まった色なのか容易には判別できないものの、彼女の視界には赤い荒野が広がっている。

 そして更にそこが異様な空間である事を立証するように、草木の類など全く生えておらず、その代わりに数え切れぬ程の剣の群れが大地に向かって、その切っ先が突き刺さっていたのであった。

 まるで剣の墓標だと思い描きつつ、一見すれば異様極まりない光景だと言うのに、どこか親しみを感じてしまうセイバーであった。


(少なくとも私達に対して敵意は感じない。
 むしろ心が落ち着くような――寒々とした雰囲気である筈なのに、なぜこんなにも懐かしいような思いがするものなのか――)


 そのまま立ち並ぶ剣に埋もれるようにその空気に浸っていたいという感覚を振り払い、セイバーは周囲をぐるりと見渡した。


「カレンは――?」


 この地がまやかしの地であれ、或いは何処かの並行世界の地であれ、目的はただひとつ――カレンの身を守る事である。
 先に宝箱の中へと身を投じたカレンが、自分と同じこの世界に居るものなのかどうか、ただそれだけが心配でならないセイバーであった。


「こんな淋しげな場所にあの娘を独りにさせる訳にはいきません」


 自分自身に言い聞かせるようにそう呟くと、セイバーは乱立して大地に突き刺さっている剣を避けながら、幼い娘、カレンを探し始めた。


「どこに居るのですか、カレンっ?!」


 時折周囲に響く程に大きな声で少女の名を呼びながら、セイバーは比較的小高くなっている丘を目指した。
 僅かでも小高い場所から見下ろすように周囲を見渡そうと考えたのである。
 足早に赤く染まった荒野を進み、目指す小高い丘へと向かうセイバー。
 その丘の頂点には一本の大剣が重量感を漂わせつつ、他の剣と同様に切っ先から大地へと突き刺さっていた。


「あれは――?」


 歩み寄り、判然としていなかった視界が次第に明らかになっていくと、その大剣の陰に一人の少女が腰掛けている様子が見て取れた。
 その姿を見間違う筈も無い。
 士郎と同じ鮮やかな赤みを帯びた髪をショートに纏めたその少女、衛宮カレンであった。


「カレン!」


 彼女の姿を確認した途端、安堵の色を表情に覗かせるセイバー。
 そして、もう彼女は迷う事など全く無かった。
 早くその手の中で幼い彼女を抱き締めるべく、その大きな剣の方へと駆け寄っていく。

 どうやら自身を呼ぶセイバーの声が耳に届いたのだろう。
 カレンは小さなその身体をぴくりと震わせ、俯いていた顔を上げて声の掛かった方を振り向くと、両の手の拳をぎゅっと握り締めつつ口を開いた。


母様かあさまっ!」


 耐えに耐えていた感情が堤防を決壊させた激流のように一気に溢れていく。
 いつの時代であれ、母の温もりを欲しない幼子などいようものか。
 駆け寄ってくる母の姿――そうセイバーの姿を目の当たりにすると、彼女も堪らずセイバーの方へと向かって駆け出し始めた。


「かあさまっ、かあさまーっ」


 後を追って来てくれた。
 決して見捨てる事も無く、このような異世界にまで足を踏み入れて、自分の為に来てくれた。
 ――その切なる想いが叶った事がよほど嬉しかったのだろう。
 カレンはぽろぽろと大粒の涙を溢しつつ、駆け寄ってくる母の手に、その母の胸に、小さなその身体を飛び込ませたのであった。


「カレン、心配しましたよ……」


 小さな小さな彼女の身体を胸の中で抱き締めた途端――我が子が緩めた涙腺が伝染したのであろうか。
 セイバーもまた瞳を潤ませ、その雫は彼女の頬をつたって滑り落ちた。

 どんなに固く信じる程にカレンの事を我が子だと思い描いていたとしても、お腹を痛めるのは将来の事である。
 それ故に彼女に“母様”と呼ばれるまでは、僅かながらも不安な思いはあった。
 本当に私はこの娘の母親だろうか――と。

 しかし、こうして彼女を抱き締めて、小さくともしっかりとしたカレンの胸の鼓動を感じ取ると、言葉に言い表し難い喜びを得る事が出来たのである。


「母様――わたし、わたしっ。
 いつもいつも、母様は厳しく私を叱るからっ。
 私は母様に嫌われているのかと思ってた。
 この前だって、大きな声で叱られて――だから私、いつものように凛おば様の家に逃げ込んで。
 かくれんぼみたいにあの箱に入っていたら、いつの間にか昔の父様と母様の世界にやって来ちゃって――。
 父様は優しくしてくれたけど、母様は私の事をずっと避けてたから――やっぱり私は母様に嫌われているんだって思ったの」


 幼子のその告白にセイバーは思わず動揺して肩を震わせた。
 自身の胸の中で抱き締めているカレンのその姿が、かつての我が子の姿と重なって、自責の念がよぎったのである。
 ややもすれば、そのまま逃げ出してしまいたくなるような怯えすら覚えたセイバーであったのだが――そんな時に脳裏に浮かんだのは彼女にとっての唯一無二のパートナーである士郎の言葉であり、またその時に答えた自身の言葉であった。

『他ならぬ士郎の娘なのですから――貴方は勿論の事、衛宮カレンもまた幸せにする事は私の責務でありましょう』

 セイバーにとって、我が子と互いに剣の切っ先を向け合った苦い記憶は、過去は過去としてあっさりと切り捨てられる筈もない大きな心の傷痕であったが、士郎と結ばれ――そして授かる事になるのだろう愛娘カレンを幸せにしなくてはならないという強い思いの方が遥かに勝っている。

 その思いを言葉にして伝えようと、セイバーはカレンを抱き締めていた手を緩め、その場にしゃがんで目線を彼女と合わせると、おもむろに口を開いた。


「カレン――我が子を大切に思わぬ母が居るものですか。
 私は剣となり盾となり、この身を擲ってでも、必ず貴女を守ります。
 そして貴女の幸せの為ならば、どんな苦労であったとしても耐えてみせましょう。

 そして――今の私は、貴女が生まれ育っている時代の母ではありません。
 しかし、未来の私の事なのですから、普段貴女の事を厳しく叱っているというその気持ちはよく判ります。

 それは勿論、カレン――貴女のためを思っての事です。
 父であるシロウのように誠実であり心温かい人になれるように。
 そして周囲の人々を幸せにできる人物になれるようにと願い、心を鬼にして厳しく接しているのです。

 ですから――私の事を。
 母の事を好きになって欲しいとは言いません。
 けれど、その母の願いだけは判っていて下さい」


 静かにそう言い終えると、セイバーはポケットからハンカチを取り出し、潤んでいたカレンの目許をそっと拭き取った。
 けれど、カレンの円らなその瞳からは後から後から留処なく涙が溢れて止まらない。
 ここ数日、凛をもってして“曲者”と呼ばせ、イリヤスフィールまでも“小悪魔”と称して彼女に地団駄を踏ませたその面影はそこに無かった。

 ただひとえに母の愛情を求め、そして満たされたその喜びを隠そうともしない、幼子らしい姿を覗かせる。
 それはまさに彼女の名が表す通りに純情可憐な少女の様であった。


「かあさまぁー」


 母と娘の絆を紡ぐように想いを込めてそう口にすると、カレンは再びセイバーの胸の中へ顔を埋めて泣き続ける。
 そんな彼女を優しく抱き締めながら、未だ子を宿した経験のないセイバーであったものの、ひしひしと“母”の喜びに浸る事が出来たのであった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 それからどれ程の時間が過ぎた事だろう。
 2時間なのか3時間なのか或いは更に時間が経過したのかもしれない。
 泣き疲れたのかそのまま眠ってしまったカレンを胸に抱いたまま、セイバーは辺りの様子をぼんやりと眺め続けていた。

 当初は夕日が沈みゆく頃合いなのだろうと想像していたセイバーであったが、どんなに時間が過ぎ去っても辺りの様相は全く変わらず、さすがにその認識を変えつつあった。
 無限の剣が大地にそそり立つこの赤い荒野は、人の世の常識が当てはまらない。

 もしもそこにことわりがあるとするならば、何人たりとも犯す事のできないたった独りの者の絶対的な領域による秩序が存在しているかのような雰囲気を感じさせる。

 けれどそこにその領域の主の姿はない。
 寒々とした光景は変わる事は無く、様々な形や大きさの異なる剣が自己主張する事も無く立ち並び、まるで静かに主の帰りを待っているかのように思われた。


「それにしても淋しい世界ですね……。
 それでいてどこか心が落ち着くような気持ちになれるのはどうしてなのでしょう」


 誰に問い掛けるつもりもなく独り言のようにそう呟いたセイバーであったが、既に目を覚ましていたのか、或いは今の彼女の声で目が覚めたのか、セイバーの胸に顔を埋めていたカレンがゆっくりと身を起こして口を開いた。


「母様、それは当然なの。
 だってここは父様の世界だから」


「カレン、貴女はこの世界を知っているのですか?
 しかも、シロウの世界だと言いましたか?」


 驚いた面持ちのセイバーの様子に、カレンはどこか得意気な様子を覗かせて胸を張った。


「母様はまだ見せて貰った事がないの?
 私は一度だけ父様にこの世界を見せて貰った事があるの。
 ――確か父様はこの世界の事を“コユウケッカイ”って言ってたと思う」


「“固有結界”――ですか。
 これがシロウの世界……」


 かつて士郎は聖杯戦争の最中に難敵バーサーカーと相対した際、ブリテンにおいては王の象徴とも言える選定の剣を投影した事があった。
 更には言峰綺礼との戦いの中で、聖剣の鞘までも投影して見せた。

 その事自体も禁忌と言えよう程の魔術であった訳であり、士郎は凛やルヴィアを前にして、自身の事を魔術師としての素質が全く無いと言い切っているが、こと専門的な投影魔術に関して言えば、彼の右に出る者は殆ど存在しないだろう。
 そのように常軌を逸する程の魔術であったとしても、それはまだ魔術師ならば持ち合わせている知識によって説明できる事象である。

 ところが、カレンが言う所のこの士郎の世界――固有結界が一個人の能力によって展開できる領域であるならば、魔術における基本原則を遥かに逸脱した心象世界の具現化の極みであり、魔術の範疇を踏み越え、片足ぐらいは魔法の域にまで及んでいるであろう事をセイバーは察し得る事ができた。


(シロウは――将来、これ程の魔術を会得する事になるのでしょうか)


 自身のマスターが魔術師として大成する証のひとつとして喜ぶよりも、犯してはならぬ禁忌中の禁忌の扉を開けてしまうのではないかという危惧を思い浮かべ、確固たる理由付けは無いものの、彼にその道を行かせてはならないという思いを抱くセイバーであった。

 そんな思いを巡らせていた為であろう。
 セイバーは辺りの様子に変化が現れた事に気付く事ができず、俯いたままである。
 結果――その“変化”に先に気付いたのはカレンであった。


「母様、あそこ! ほら、扉が開いてる!」


 彼女が指差した方へ視線を向けると、間違いなく先程までは、どこまでも赤く染まった荒野が広がっていた筈であったが、その一角にカレンが口にした通りに、扉を模した空間が2つ存在しており、その2つの扉はそれぞれに大きく開かれていた。

 扉が2つ開かれたその意味は深く考えるまでもなく想像できよう。
 ひとつは未来の――カレンが元居た世界に繋がっているのであろう。
 そしてもうひとつは、セイバーが戻るべき現在の世界への入口である。

 その事を共に悟ったのだろう。
 どちらからともなくセイバーとカレンは視線を合わせて頷き合った。


「カレン、お別れの時が来たようです。
 いえ――お別れではありませんね。
 貴女が戻るべき未来の世界にも私が居て、貴女の帰りを待っているのですから」


「うん――でも、母様の方は」


「心配いりません。
 そう遠くない将来にまた貴女と会える事になるのですから。
 そんな事よりも覚悟しておきなさい――私は必ず全身全霊をもって貴女をきちんと教育して差し上げますからね」


「う、うん――大丈夫。
 それはもう今でも嫌ってぐらい味わっているから。
 それに――さ」


「それに――なんです?」


 問い掛ける母の面持ちを見つめて、心からの安堵の笑みを浮かべてカレンは言葉を繋いだ。


「それに――母様からも、覚悟しなくちゃならないぐらいにいっぱい愛されている事が判ったから。
 うん、だからもう大丈夫」


 互いにもう一度頷き合い、そして手を繋いで、その扉の方へと向かって歩いていく。
 どちらか自分がくぐる扉なのか、不思議と迷う事は無かった。
 互いに自然と思い描いた方の扉の前まで歩み寄ると、繋いでいた手を離した。


「あれ? 母様、このナップサックは」


 この世界自体が不思議な事象の極みである。
 今更、突然士郎が背負っていた筈のナップサックが出現したとしても不思議ではないのかもしれない。
 カレンが向かおうとしていた扉の前にそのナップサックが現れたのは何かしらの意味があっての事だろう。


「そのナップサックの中身はシロウのセーターです。
 寒空の下、貴女が寒い思いをしているだろうと思って持ってきていたのですよ。
 ここにそのナップサックが現れたと言う事は、そのセーターを土産代わりに持っていきなさいという事でしょう。
 持ち帰って貴女からシロウに返すのも良いですしね」


「んーでも、父様はとっても背が高いからサイズが合わないと思うの。
 だから、これは私のものにしちゃっていいよね?」


「それは構いませんが――そうですか、シロウはこれから歳を重ねていく中で身体も大きく成長するのですね」


 伴侶となる士郎が背丈についても頼もしく成長してくれる事を嬉しく思いながらも、小柄な自身と比べて身長差が広がってしまう事に一抹の懸念を浮かべてしまうセイバーであった。


(所詮この身は英霊――そして見た目はいつまでも小柄な少女のままの私です。
 士郎が歳を重ねて成長していくと共に、夫婦ではなく親子のように見られてしまう事になるのでしょう……)


 そんな母の不安を感じ取った訳ではあるまいが――そんな母の面持ちをまじまじと見つめつつ、カレンは士郎のナップサックをランドセルのように両肩に背負いながら口を開いた。


「そう言えば母様も若い頃は少し背が小さかったんだね。
 今でも母様はとっても美人だけど、若い頃の母様は綺麗って言うより可愛い感じなんだもん――実を言うとさ、箱の中から出てきて最初に母様を見た時には別人なのかと思っちゃったんだ」


 幼子らしく戯けてぺろりと舌を覗かせて、手で頭を掻きながら苦笑いを浮かべるカレン。
 無邪気に「母様似のサーヤ姉様が将来美人になる事が間違いなくってちょっと羨ましいかな」とぼそりと洩らす。


「ななななっ、なんですって?!
 私は将来、背が伸びるのですかっ?! そして大人の女性のように容姿も変わっていくのですね?!
 そ、それに何と言いましたか? シロウと私の子供は貴女だけではないのですね?」


「――母様。 歳を取ってもいつまでも若いままという事がありえないぐらい子供の私でも知ってる事だよ。
 でも、大丈夫。母様はご近所でも評判の美人の奥様だからさ。
 それからえっと――そっか、姉様の事は言ってなかったよね。
 衛宮家うちの最初の娘はサーヤ姉様なんだよ。
 母様と同じでいっぱいご飯を食べるのにとっても細身なの。
 あ――ちょっとお転婆な所も母様の若い頃そっくりだって凛おば様が言ってたっけ」


「なっ?! それは間違いですよ、カレンっ。
 むしろお転婆なのは凛の方です」


 あたふたと両手を左右に振りながらどうにか反論しつつも、突然与えられた情報の数々に思考は混乱気味のセイバーであった。
 愛娘との別れ際だと言うのに、その場に呆然と立ち尽くしてしまい、ぶつぶつと聞こえぬ程に何事か独り言を呟いてみたり、「シロウと一緒に歳を重ねる事が出来るのですね」と洩らして幸せそうに笑みを浮かべたり、更には「娘を2人も授かるという事は当然シロウと――」と時折頬を赤く染めて俯いてみたりと、百面相ぶりを覗かせた。

 そんな母親の様子を不思議そうに小首を傾げつつ見つめ続けるカレンであったが、いつまでもその場に立ち止まっている訳にもいかない。
 彼女の姉ほどではないもののカレンの腹時計は正確に時を刻んでおり、空腹状態になっている事を如実に示すように可愛い音が洩れ聞こえた。


「母様、私、そろそろ帰ろうと思うの。
 母様も早く帰らないと、父様が心配していると思うよ」


「えっ? あ――そうですね。ええ判っておりますとも。
 それでは今度こそ本当にお別れですね、カレン。
 母である私が言うのも変ですが、父と母の言う事をきちんと聞いて良い子に育って下さい」


 名残惜しい気持ちはあれども、それは永久とわの別れではない。
 カレンの方は元の世界に戻れば、父である士郎と母であるアルトリア、そして仲の良い姉のサーヤが彼女の帰りを待っている。
 そして、セイバーもまた然り。
 今は恋人同士の関係に過ぎない士郎とセイバーの2人であるが、その未来予想図通りに心温かい家庭が築かれていく事になるのだろう。


「さよなら、母様っ」


 未来へと続くのだろうその扉をくぐりつつ、小さなその手を大きく振って別れを告げるカレン。
 そして完全にその扉の向こう側へと歩みを進ませてから、何か思い出したかのように振り返ると、自然と閉まりつつある扉越しにこう言ったのだった。


「母様っ! 凛おば様と、桜おば様と、ルヴィアおば様と――そしてイリヤおば様には気をつけてね!
 みんな良い人ばかりなんだけど、今でもずっと結婚しないで父様の事を狙っているんだからね!」


 愛娘の別れ際のそんな忠告に思わず苦笑いを浮かべつつ、セイバーは完全に閉じられてしまった未来への扉に向かって、もはや姿は見えなくとも、母の威厳をカレンに示すかのように胸を張りながら叫んだ。


「任しておきなさい!
 これは決して負ける事を許されぬ乙女の戦いなのですから!」


 高らかに宣言して見せたその母の声は未来へと帰って行ったカレンの耳に届いたのかどうか。
 仮にその言葉は届いてなかったとしても、その将来において、娘達の前で有言実行とばかりに恋敵ライバル達を撃退して見せる事だろう。

 ただただ何処までも広がっている赤い荒野。
 主の帰りを待つその剣の群れだけが、彼女の宣言を聞いた立会人であったのかもしれない。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「シロウ、ただ今戻りました」


 士郎の世界だという赤い荒野から、そこに出現した扉を通って帰ってきたセイバーを出迎えたのは、何やら狭いスペースの隅で膝を抱えて座り込んでいた士郎であった。
 何やら疲れきった面持ちを覗かせていた士郎であったが、その傍らにセイバーが戻ってきた事に驚きつつも喜びの感情を込めた声を上げた。


「セイバー、いったい何処からここへ戻って来たんだ?
 何時間も何処かに行きっぱなしだったから心配したんだぞ」


「そうでしたか――それは申し訳ありません。
 それで、シロウ。
 ここははたして何処なのでしょう?
 随分と狭い空間のようですが」


 赤い荒野との扉が開いていた間は、そちら側の空間からの光が届いていたのであるが、その扉が完全に閉じられてしまった今では、すぐ傍に座っている筈の互いの顔さえはっきりと見えない程に、その閉じられている空間は暗く、そして狭かった。


「ここは宝箱の中だよ、セイバー。
 実はセイバーがこの箱の中に飛び込んでから、すぐに後を追うように押し入ったんだけどさ――恥ずかしい話、どこかの世界に繋がっていた筈のその暗い闇はすっかりと消え去ってしまってさ、この4時間以上もの間、箱の中に閉じ込められ続けている訳なんだ。
 ――って、そうだ! そんな事よりもセイバー。
 カレンはどうなったんだ?
 無事に見つかったのか?」


 その士郎の問い掛けに、セイバーは僅かながらも戸惑いを見せた。
 辺りが暗闇であったのは彼女にとって幸いであった事だろう。
 俯き気味に躊躇しているその様子を士郎に知られずに済んだのであるから。


(どこまでシロウに話すべきでしょうか……)


 カレンの言葉を借りるならば、数え切れぬ多くの剣が並び立っていたあの赤い荒野は士郎の世界であると言う。
 超魔術的なその領域――固有結界の事を士郎に告げるべきなのかどうか。

 既に聖杯戦争は終えて、士郎は魔術師の道を進むのではなく、“正義の味方”になるというスタンスは変えていないものの、警察官を職業として選び、一般人として生計を営むつもりになっている。
 そんな彼に魔術師への道を改めて切り開くような情報を伝えて良いものなのかどうか。


(躊躇せずに自己を犠牲にしてしまうシロウの資性は未だ変わっていません……。
 ならば、あの“固有結界”と言う魔術の極みの事を話すのは時期尚早でありましょう。
 それに出来る事ならば、シロウには魔術師の道を完全に捨てて、普通の生活を送って貰いたい)


 悩んだ末にセイバーは、赤い荒野の事には触れず、無事にカレンと再会できた事、母と娘として互いに心を開けた事、そしてカレンは元の世界へ帰って行った事を彼に伝えたのであった。


「そうか、それならカレンは無事に帰って行ったんだな。
 良かった――本当に良かった」


「な?! し、シロウ、どうしたのです。
 急に抱きついてくるだなんて――貴方らしくありませんっ!」


 たとえ灯りのない暗い空間であったとしても、彼の温もりを間違う筈はない。
 しな垂れるように彼女の身体に抱きついてきた士郎にセイバーは驚きを隠せなかった。


「悪い、セイバー。
 なんだか、ほっとしたら急に身体から力が抜けちゃったみたいでさ。
 嫌な思いをさせてすまない」


「だ、誰が嫌だと言いましたかっ!
 ただ、私は驚いただけで士郎とこんな風に吐息を感じる程に身を寄せ合う事は決して嫌いではありませんっ!
 いえ、むしろ望む所と言いましょうか――」


 出来る事ならば、ずっとこのまま身を寄せ合っていたい――と。
 そう続けようとしたセイバーであったのだが。


「ふーん。士郎とセイバーってば、ずっとここでいちゃいちゃとしていたワケ?」


 漆黒の闇に支配されていたその空間に眩い程の光が注がれたかと思うと――唐突に聞こえてきたのはあかいあくまの囁きであった。


「カレンも居なくなっちゃっていたし――親子揃って婚前旅行にでも行ったのかと思ったわよ」


 ようやく明るくなった視界に目が慣れて、見下ろすように、そして射抜くように視線を向けている彼女――遠坂凛の方へと揃って視線を向ける士郎とセイバー。
 しかし、間が抜けていると言うべきか――唐突過ぎる展開について付いていけず、互いにその姿勢は崩していない。

 つまり――セイバーに覆い被さるようにしな垂れて、互いの頬と頬が触れ合う程に彼女に抱きついている状況の士郎である。


「や、やあ、遠坂――助かったよ、うん本当に」


「あら? 見間違えでなければ、助かったのはセイバーの貞操の方みたいだけど?」


 ようやくその凛の一言を耳にして、互いの体勢に気が付いたのだろう。
 熟して落ちそうになった林檎のように赤く頬を染めつつ、あたふたと両手を振り回しながら士郎とセイバーはその狭い宝箱の中から飛び出して、互いに高鳴っているのであろう胸の動悸を気にしつつも、どうにかその場から立ち上がったのであった。


「凛、言うに事欠いてそのような戯言をっ!
 そ、そもそも私の貞操ならば既にシロウに捧げていますから問題は――」


「わああ、セイバーなに混乱して凄い事を言ってるんデスカっ!?」


 慌ててセイバーの背後から再び覆い被さるようにして、両手で彼女の口を覆う士郎であったのだが――その姿はより一層に仲睦まじい2人の様子を強調しているだけであり、ただでさえかなり憤慨している様子のあかいあくまの逆鱗に触れてしまったのであった。


「この、ムッツリすけこましめーっ!」


 その轟いた声の方が早かったか――或いはやっぱり拳の方が早かったのか。
 世が世なら世界を制したかもしれない右フックがコークスクリューの軌跡を描いて宙を斬る。
 聖杯戦争の最中においては、何度も死線を潜り抜けた彼であったが――「今度こそはダメかと思った」と後に溢した程に、それは実にクリティカルな一撃であった。

 そして――高々と宙に舞った士郎が次に意識が戻ったのは、更に半日の時間を要しての事であった。










「え? 俺達があの宝箱に入ってから4日も経っているのか?」


 遠坂家に集った女性陣――家主である凛は勿論の事、士郎の傍に控えているセイバー、そして桜、ルヴィアゼリッタ、イリヤスフィールである。
 セイバーを除く女性陣は、揃って安堵しているような、それでいて怒っているような複雑な面持ちを浮かべている。

 そして、士郎とセイバーがカレンの後を追って宝箱の中に身を投じてからの顛末について説明を受けていた士郎とセイバーであったのだが――驚く事に体感的には4時間強の時間が流れただけの筈なのに、箱の外では既に4日間もの日々が過ぎていたのであった。
 かつて宝箱の中に閉じ込められた経験のあるルヴィアゼリッタからの補足によると、箱の中と外では時間の流れが異なるという事である。


「――という事は、俺とセイバーは4日間も行方不明だった訳か」


「まあ、状況からしてカレンを含めて士郎とセイバーが宝箱の中に入ったのだろうという想定はしていたから、そんなには慌てなかったけどね。
 ああそうそう、藤村先生には遊びに来ていた親戚の子カレンをその子の実家まで送り届けに行っているって説明したから口裏を合わしておいてよ」


「よく言うわね、リン。
 一番冷静に判断できる立場に居ながら、シロウとセイバーが駆け落ちしたとか、婚前旅行に向かったとか、ひとりで大騒ぎしていたクセに」


「そうですよー、姉さんったら、随分と焦ってましたよね。
 先輩に限って駆け落ちとかそんな事は絶対にありえないって、私は信じてましたけど」


「あら、サクラ――貴女も随分と動揺していたみたいですわよ。
 昨日のお昼に頂いたおにぎりには塩ではなく砂糖をまぶしていましたし」


「る、ルヴィアさん、それは内緒にして下さいって言ったじゃないですか〜」


 このようにかしましい様相を呈するのはいつもの事であろうが――少女達はその“いつもの日常”をこの4日間は失っていたのである。
 士郎がその中心に居てこそ、少女達は心穏やかにして騒々しく振る舞えるのだと言う事をそれぞれに実感したのだろう。
 ある意味、まるで通夜の晩のようですらあったこの4日間という時間を取り戻そうとするかのように少女達は妙にはしゃいで見せたのであった。

 一方、士郎はと言えば、皆に心配させてしまった事に肩を落として落胆している様を覗かせる。


「随分とみんなに心配を掛けてしまったんだな。
 本当になんてお詫びしたらいいのか――」


「シェロ、あまり気になさらない方がよろしくってよ。
 こうして貴方とセイバーはカレンを元の世界に送り届けて、そして無事にこちらの世界へと戻ってきたのですから」


「ありがとうルヴィアゼリッタさん。
 でも、みんなを助けるのが“正義の味方”なのに――こんな事じゃその資格は無いなぁ」


 その時である。
 思わず洩らした士郎のその言葉、“正義の味方”という単語にぴくりと激しく反応したのはセイバーであった。


「しっ、シロウっ!
 あれから、4日も経過しているという事は!
 警察官採用試験のっ――二次試験の日は昨日だったと言う事ではありませんか?!」


「あ――」


 セイバーを除く面々には内緒で進めていた警察官の採用試験の受験。
 一次試験を無事に突破し、残る関門は面接、適性検査、体力検査、身体検査からなる二次試験のみであったのだが――その受験日は、宝箱の中で過ごしていた間に既に到来してしまっていたのである。


 その進路について知らされていなかった為に、女性陣から一頻り厳しい指摘を受けた士郎なのであるが――結果的にその受験に失敗してしまった事について、なぜか彼はさして落ち込んでいる様子は見せなかった。





 そしてその夜、遠坂邸からの帰り道。
 セイバーと2人っきりでゆっくりと歩きながら――ぽつりと士郎は呟いたのであった。



「カレンが教えてくれたのかもしれないな……。
 俺が進むべき道は警察官ではないという事をさ」



 そんな彼の言葉にセイバーは一抹の不安を抱いてしまう。
 ――そう、脳裏を過ぎるのは、カレンと共に居合わせたあの赤い荒野。
 愛娘の言葉が正しければ、いつの日か彼はその地へと自らの力で足を踏み入れる事になるのだろう。


「これもまた運命――なのでしょうね」


 そう口にしたセイバー。
 そして胸の内でそっとこう続けたのである。


 たとえシロウがどんな道を歩んでいくとしても――私は常に貴方を守り通して見せます。
 シロウの剣となるという誓いは永久とわに不変なのですから――と。





- つづく -


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